White
White CEC LOGO HOME 製品 テクノロジー サービス 会社概要 コラム メール English White
White
タイトル

118
118

第127回 2011/05/06

「端午の節句」

 5月の連休も、明けました。もっとも事業体によっては、今日6日(金曜日)も休日とし8日までをゴールデンウイークとするむきもあったようです。当社では、昨年11月末に本社機能を群馬県大泉町に移転し、初めての5月です。こちらでは土地に余裕があるからでしょうか、古くからの習慣を大切に守りたいと考える方が多いからでしょうか、埼玉県との県境を含めまして、鯉のぼりが風にはためく様子が、4月中旬から下旬にかけて、眼に新鮮に映りました。ちなみに、群馬県との県境に近い、埼玉県加須市は、古くから鯉のぼりの生産量では日本一です。

 ご存知のように、5月5日は端午の節句。旧暦午の月の最初の午の日を節句として祝う習わしが、午が五に通じるところから5月5日を端午の節句として定まったもの。この中国から伝わった節句が、日本では古来からの五月忌み(さつきいみ)という習慣と結びついたものとして定着したといわれています。五月忌みとは、田植え前に、女性が穢(けが)れを祓(はら)うため自宅に籠る習慣。中国から伝わった端午節が、国内に定着したのは、女性のための季節的な儀式と結びついたのがその由来だったようです。

 他方で、もともとの中国では、端午の節句には、邪気を払うために有効とされた菖蒲を家門に掛けてきたことから、この節句と菖蒲とが分かちがたく理解されたようです。武家社会の始まった鎌倉時代には、この菖蒲が尚武と読みかえられ、武家社会を支える男子の健康な成長と武運長久を祈る、男子の節句と変ったようです。菖蒲の葉の鋭さから刀が、身を守ることから鎧兜が、男子を持つ武士の家では、端午節に飾られるようになったようです。

koinobori

 その後、武家社会が継続し、江戸時代に入ると、男子の節句となった端午の節句には、中国の故事にならって鯉のぼりが立てられます(後漢書による。黄河の急流を昇ることのできた唯一の魚である鯉が、竜に変身できたという「鯉の滝登り」伝承)。また、鯉の上に付けられる5種類の色からなる吹き流しは、五行思想に基づき、5種類の色彩が天下万物を表象するという考えに基づいたものとされます。変化する万物の事象という急流を、見事に泳ぎきって竜となってほしいという男の子に対する家族の願いが込められているのでしょう。中国の故事や思想が、鯉のぼりとして武家社会の成立と発展にこうしてとりいれられているのです。(ところで、本家の中国で今も残る端午の節句の行事は、ドラゴンボートと呼ばれる団体競漕競技です。これは、楚の屈原が失意のうちに入水した際、それを助けようとした漁民がドラゴンボートを使用したという故事に遡るようです。)

 さて、滝を登る鯉のように進みたい5月ですが、新聞やテレビで報道される3.11東日本大震災によって誘発された福島原発の放射能漏えい収拾作業は、一向にその前途を切り開いているようには思えません。先の関東大震災を目の当たりにして、かの寺田寅彦氏は、こう述べていました。

『いつも忘れがちな重要な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度をなすという事実である。
 人類がまだ草昧(そうまい)の時代を脱しなかったころ、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。<略>とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。
 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しょうとする野心を生じた。そして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである。災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているのはたれあろう文明人そのものなのである。』(『天災と国防』昭和9年11月「経済往来」)

 しかし、「天然に反抗する人間の細工」という社会活動を通して、社会とその流通システムが複雑かつ高度に構築されている現在、いつか来る災害に対する備えを十全とする作業が本来並行して進むべきであったと言い換えることができるかもしれません。その典型的な出来事が、地震と津波によって引き起こされた福島原発事故といえます。 ごく最近のNHKのテレビインタビュー報道にて、今回の事故を想定外とすることは、科学者の怠慢であると意味する内容の、ノーベル化学賞を受賞した野依良治氏の見解が伝えられました。科学者の本来あるべき姿を冷静に見つめ直そうとする発言でした。ところが、今回の大災害に対しては、今から14年も前に神戸大学都市安全研究センター(当時)の石橋克彦氏が、「科学」(岩波書店)10月号(Vol.67 )に、「原発震災」と題する論文で明確に今回の大災害の起きる危険性に警告を発していました。

 「本当に(原発の)耐震安全性は万全なのだろうか」と検証を始め、「最大の地震を考慮した設計」という文部省(当時)の基準に疑問を呈し、「活断層がなければ直下のM7級最大地震はおきない」という文部省の認識自体が、「完全に誤っている」と断言します。「原発にとって大地震が恐ろしいのは、強烈な地震動による個別的な損傷もさることながら、平常時の事故と違って、無数の故障の可能性のいくつもが同時多発することだろう。とくに、ある事故とそのバックアップ機能の事故の同時発生、たとえば外部電源が止まり、ディーゼル発電機が動かず、バッテリーも機能しないというような事態がおこりかねない。」 「冷却水が失われる多くの可能性があり(事故の実績は多い)、炉心溶融が生じる恐れは強い。そうなると、さらに水蒸気爆発や水素爆発がおこって格納容器や原子炉建屋が破壊される。」と明言しています。

 石橋氏の警告は、もっぱら東海地震と浜岡原発にむけられたものでしたが、その本質において今回の東北沖大地震と福島原発に100%あてはまるものであり、不幸にして「最悪のシナリオ」は氏の警告通りに起きてしまいました。想定すべきハードルが、地震の強度、津波の大きさの双方に置いて低く設定されていたのでは、想定外という言葉は言い訳にもなりません。また、原発の災害対策の基準を低く設定したことが、どうしても原発を推進したいという政治的な意図によるものであるとすれば、それを推進してきた政治家の責任は、今回厳しく問責されている東電首脳陣のそれと同等か、もしくはそれ以上の重さがあるかもしれません。

 現在の為政者の災害に対する対応能力の不完全さをかばうつもりは全くありませんが、それ以前の「人間の小細工」に対する、細心の対応への完全な手抜かりを、復活の事業に際して再点検し、再構築することを心がけるしかないように思われます。

 

 

 




118
118