第118回 2010/08/01 |
「FIFA2010と真夏の政治」 |
先月7月は、実に多くのことが起きました。FIFA2010ワールドカップは、6月中に予選リーグとベスト8までの決勝トーナメントを終え、7月に入り準々決勝が始まりました。おりしも、打合わせがあり、7月9日にドイツハンブルグに入りましたが、既にドイツチームは準決勝でスペインに敗退。 ドイツ到着の翌日、7月10日はウルグアイとの3位決定戦でした。幸いドイツチームが勝利し、ドイツの友人たちと一緒に観戦した身としては、気まずい思いは免れることが出来ました。きしくも、ドイツの地でFIFA2010の3位決定戦と決勝戦をTV観戦することになりました。結果は皆様ご存知の通り、スペインが初優勝、オランダは3度目の2位と、3位まで全てを欧州勢が占めた初めてのワールドカップとなりました。 今回7月のドイツ滞在期間中、ハンブルグの多くの車や家屋にドイツ国旗が掲げられていました。やはり、スポーツの国際大会における国旗を背に負ったチームの活躍は、国威の発揚に何よりもの効果があることを思い知らされました。ドイツのほかの町でも、また、スペインやオランダでも同様の光景が見られたかもしれません。政治とは無関係に見えるサッカー、実は欧州においては積極的に政治に利用されてきました(かつては南米でも)。 歴史的に、欧州において最も国民的な人気のあるスポーツであるサッカーを、意図的に利用したのは、かのファシスト、ベニート・ムッソリーニでした。1934年のイタリア・ワールドカップで、開催国イタリアは優勝(かなりの権謀策術が用いられたといわれています)、かくて「ファシズムの正しさとイタリアの偉大さ」が国民的熱狂の中で宣伝されました。ヒットラーが1936年のベルリンオリンピックに傾注したのは、このムッソリーニの成功に大いに影響されたことは、多くの論者が指摘するところです(「ワールドカップの世界史」千田善著(みすず書房)に詳細されています)。
サッカーを政治利用した、ムッソリーニの戦術は、第2次世界戦争後の、スペイン・フランコ独裁政権で露骨に発揮されます。第2次世界戦争終了後も1975年まで独裁を続けたフランコ政権は、国際的な孤立をサッカーへの傾倒で延命することができたとさえいわれています。第2次世界大戦終結直後には、国連加盟さえ拒否されたスペイン・フランコ軍事政権は、国際的に孤立していただけでなく、国内的にも多くの民族問題を抱えていました。フランコが選択したのが、スペインの首都マドリードを拠点とするレアル・マドリード。多民族国家スペインで、首都のチームを偏愛、寵愛し、地域民族、言語を無視、言論を弾圧してきたのです。レアル・マドリードは、独裁者に愛され、様々な恩恵のもと欧州最強チームであり続けました(FIFAは20世紀最優秀クラブに選出しています)。今でも、恐らく欧州で最強のチームの一つであることは間違いないレアル・マドリードが、必ずしもスペインの全土で人気が一様ではないのはこの歴史を背景としています。カタロニア、バスクと大きな民族問題を抱えるスペインチームのFIFA初優勝が、この国の長く続いてきた民族問題の解決へ向けた契機となることを祈るばかりです。スペインサッカーと民族問題は、下記のサイトに概略されています。 http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/maruyama04-7-30.htm このFIFA2010 の最終戦の最中、参議院選挙が行われ、やっと政権与党になったばかりの民主党が、党首を代えて臨んだ選挙で惨敗を期しました。最近の民主党の反省として、「選挙直前の唐突な消費税引き上げ論議が選挙民を戸惑わせた」と、菅首相の勇み足が原因だと報道されています。メディアもこの考えを支持している感さえあります。しかし、勝利した自民党の公約には、消費税10%へ引き上げが文書化されているのですから、これは理由にならないのではないでしょうか。 昨年自民党麻生政権が、衆議院選挙で大敗したのは、ある意味では、オーウンゴールでもありました。少なくとも民主党への積極的な支持によって勝利したのではなく、長期にわたる自民党政権の政策への拒否が原動力でした。権力の座に着いた、民主党は、それゆえにばら色のマニュフェストの実現可能性を一つ一つ検証し、必要に応じた軌道修正を迅速に明らかにしていくべきでした。昨年の衆議院選挙勝利の後、連立とはいえ、絶対的多数を背景に衆参両議院での強硬な議会運営を行い、旧態然とした政権担当者の金権体質が漏れ伝わってくるにつれ、変わっていない政治への国民の不満が今回の参議院選挙の結果であったように思われるのです。日本の首相は、安部、福田と続いて政権を放棄、その後の麻生は任期満了後選挙に臨み交替、民主党に変わった政権の鳩山と、この間、内閣総理大臣は4期連続短命に終わりました。また、そのうちの3政権までが政権の自己放棄だったのです。これでは、政策の安定性どころか長期的な政策展望は望むべくもなく、国際的な信用度は期待する方が無理というものです。 6月から続いた梅雨も、FIFA2010や参議院選挙の後、突如中旬から真夏の日差しが連日降り注ぐ、猛暑となりました。政治の閉塞感がこの暑さに追い討ちをかけてさえいるようです。ドイツ北部からフランスにかけても、7月中旬は記録的な暑さが続きました。とりわけ欧州では、今年の1,2月の厳寒と降雪が記録的であったことから、まさに対照的な気候の激変です。これからの8月どのような夏となるのか想像が付きませんが、どうか健康でお過ごしになられますようお祈りいたします。
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