第006回 2005/12/24 |
オペラ「ドン・ジョヴァンニ」に反映されるモーツァルトの陰 |
(日)東北新社/キング 436L-2503-4(2) ウィーン国立歌劇場合唱団・ウィーン・フィル/ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮), ヘルベルト・グラーフ(演出) C・シェピ(Br), E・グリュンマー(S), A・デルモータ(T), D・エルンスター(Bs), L・デラ・カーザ(S), O・エーデルマン(Bs), E・ベルガー(S), W・ベリー(Bs) |
目前に迫った2006年1月、いよいよ不世出の天才モーツァルトの生誕250周年を迎えることになる。私ごとになるが、生誕200年の1956年当時は、クラシック音楽に興味をもち始めて何年かが経ってはいたが、個人的にはベートーヴェン一辺倒だったこともあり、残念ながら モーツァルトまでは、とても手が回らないのが実情だった。モーツァルトに深くのめり込むようになったのは、60年代半ば以降のニューヨーク駐在中のことで、度々やって来た名指揮者カール・ベームによるオペラやシンフォニーをライブで聴いたことが大きな契機となった。実演だけではなく、欧米で発売済の生誕200年記念レコードなども求めて貪るように聴いたのも、この時期である。 ということで、今回は、手始めにモーツァルトの代表的オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を取りあげてみたい。しかも、ドイツの巨匠、フルトヴェングラー指揮によるモーツァルトの生誕地、ザルツブルグでの音楽祭のライブをレーザー・ディスク(LD)に収録したものである。 ストーリーは、中世スペインの伝説上の人物で、漁色に明け暮れる貴族ドン・ジョヴァンニ(スペイン語ではドン・フアン)を主人公にしたもの。騎士長の娘を誘惑したが失敗し、追って来たその父騎士長を刺殺、逃走の途中、村で結婚式に出会うや、花嫁を誘惑しようとするが、ジョヴァンニに捨てられ彼を追ってきた女に邪魔されて果せない。最後は墓地で出会った石像と化した騎士長を大胆にも晩餐に招待するが、その石像によって地獄へと突き落とされる。全員目出たしという結末だが、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」は、モーツァルト作品の中でも、一際異彩を放っている。確かに従者レポレロの歌う「カタログの歌」、ジョヴァンニと村娘の2重唱、ジョヴァンニの「シャンパンのアリア」、花嫁ツェルリーナのアリアなど いかにもモーツァルト的に軽やかで美しい。しかし、神をも恐れぬふてぶてしい色事師ジョヴァンニの性格によるものであろうか。このオペラには、デモーニッシュな毒があり、全体を覆っている雰囲気も闇のように暗い。確かに勧善懲悪的で、ハッピー・エンドにはなっているが、どうもスッキリ笑い飛ばして幕切れという訳にはゆかない。オペラ・ブッファと銘打ってはいるが、「フィガロ」や「コジ」などとは明らかに異なり、台本を書いたダ・ポンテが、後にドラマ・ジョコーソ(諧謔劇)と呼んだのも判るような気がする。主人公ジョヴァンニの強烈なエゴイズムを通して、生身の人間のもつ暗い陰の部分、ドロドロと屈折した業の深さに真正面からスポットを当てているからであろうか。 フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの演奏は、徹底して厳粛かつ深刻であり、ロマン派的要素を色濃く残した歴史的名演。1954年、巨匠の死の年の8月、ザルツブルグでのライブを収録したものだが、その2年後の1956年に迎えるモーツァルト生誕200年祭を記念すべく上演されたものである。 |