第032回 2006/11/17 |
風光明媚な大自然とミュージカル 「サウンド・オブ・ミュージック」 |
米コロムビア KOS 2020 サウンド・オブ・ミュージック/マリア/私の好きなもの/ドレミの歌/おやすみなさい/すべての山を登れ/エーデルワイズ など計15曲 メアリー・マーテイン, テオドア・バイケル, パトリシア・ニューウエイ, クルト・カズナーほか (発売:1959年) |
もう数年以上も前になるが、7月の初めウイーンからリンツ経由、モーツアルトの生地、ザルツブルグを訪れた折、ほぼ1日の行程でその東部に広がる高原地帯、ザルツカンマーグートに出掛けたことがある。この辺りは昔から岩塩が採掘される場所として知られ、ハプスブルグ王朝の塩の御料地として栄えた。ザルツとは塩、カンマーグートは御料地という意味である。しかもオーストリア・アルプスをバックに70以上の湖沼が点在し、雄大にして風光明媚、平均海抜は600メートル以上で夏は涼しいし、更に場所によっては温泉も出る。従って、避暑地、別荘地としても好適で、19世紀半ばには、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の夏の別荘“カイザー・ヴィラ”がカンマーグートのほぼ中央に位置するバート・イシュルに建てられた。この町には、今は記念館になっているオペレッタ「メリー・ウイドウ」の作曲家レハールの別荘もあったり、かつてはブラームスやヨハン・シュトラウス2世の夏の家があり、しかもこの2人、意外にも大変仲がよく隣同士に住んでいた。かのブルックナーもこの町を訪れ、滞在中は今もあるワインハウス「アットヴェンガー」に毎日のように通ったという。ザルツブルグからこのバート・イシュルへとぬけるほぼ中間に、美しいヴォルフガング湖に面した湖畔の小さな町、ザンクト・ギルゲンがあって、モーツァルトの母、アンナ・マリアの生家が今も残っている。アンナ・マリアの父、即ちモーツァルトの母方の祖父がこの地の地方管理官だったからだが、面白いことに、この同じ家は、姉ナンネルが結婚後過ごした住まいでもあった。彼女の夫もまたこの地方の管理官だったのである。 大分、前置きが長くなってしまったが、最近この地を訪れると、観光ガイドが必ずといってよいほど案内するのが、大ヒットしたハリウッドのミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の撮影スポットだそうである。じつは、この映画、ザルツブルグからこのザルツカンマーグートを舞台につくられたのだが、ロケ地そのものが今や観光スポットになっているのだ。 このミュージカル、元々は、1949年に出版されたマリア・フォン・トラップの手記「トラップ・ファミリー・シンガーズ」に基づくもの。ロジャース/ハマーシュタイン2世によりブロードウェイ・ミュージカルに仕立てられて、大ヒットの後、映画化された。あらすじは、改めて述べるまでもないほど有名だが、一応簡単に触れておきたい。 第2次大戦前夜の1938年、オーストリア、ザルツブルグ周辺が舞台。この地にある修道院に預けられたマリアは、山と歌が大好きな見習い修道女。自由奔放なお転婆娘で皆を困らせている。院長は、彼女をこの地方の裕福な貴族で妻を亡くした男やもめトラップ大佐の7人の子供たちの家庭教師として送り込む。マリアは直ぐに子供たちと仲良くなり、山に連れていっては歌や遊びを教える。大佐には既に許嫁がおり、しかも当初は子供たちへの教育方針を巡ってマリアとは意見がことごとく対立したりするが、やがて2人は愛し合うようになり結婚。しかし、ナチスのオーストリア侵略により、その出頭命令に従わない大佐は、ナチス党員に狙われるようになり、密かに一家でこの地を脱出する決意をする。アマチュア合唱コンクールで優勝した一家は、発表会最後の曲「すべての山を登れ」とともに、修道院へと逃げ込み、修道女たちの尽力のもと、アルプスを超えてスイスへの亡命を果たす。 このミュージカルは、こうした出来事が、オーストリア・アルプスに囲まれた美しい大自然を背景に展開されるのである。 最後に閑話一題。この映画でマリアはジュリー・アンドリューズ本人が唱っているが、ミュージカル映画の場合、むしろゴースト・シンガーによる吹き替えのほうが一般的である。例えば、56年の「王様と私」のデボラ・カー、61年の「ウエスト・サイド物語」のマリア役ナタリー・ウッド、「マイ・フェア・レディ」のオードリー・ヘップバーンに代わって、何れも吹き替えで歌っているのが、マーニ・ニクソンというゴースト・シンガーの女王みたいな人。その彼女が、映画「サウンド・オブ・ミュージック」では ゴーストではなく、ソフィーという名のやや大柄な修道尼に扮して画面に現れ、「マリア」などをニコニコしながら実に気持ちよさそうに歌っている。 |