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第031回 2006/11/17
全盛期のベームによる名演、オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」

DISC3

米エンジェル 3631D/L(4) (CD:英EMI 5-67379-2)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」

E.シュヴァルツコプフ(S), C.ルードウィッヒ(Ms), A.クラウス(T), G.タデイ(Br), H. シュテフェック(S), W. ベリー(Bs)
フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/カール・ベーム(指揮)

(録音:1962年9月 ロンドン)


 最初に告白してしまえば、かつて筆者のベームに対する傾倒は、「ベーム好き」なんていうナマ易しいものではなく、ほとんど病気ともいえる状態で、むしろ「ベーム狂い」と言ったほうがよかった。そのベームが逝って、早いもので25年。しかしながら、未だに60年代に聴いた一連のライブ演奏を思い出すだけでも、当時の“ドキドキ、ワクワク”した熱い思いが蘇ってくるようだ。
 彼は、1963年10月、東京日生劇場のオープニングに合わせてベルリン・ドイツ・オペラと共に初来日し、同劇場でオペラ「フィデリオ」と「フィガロの結婚」、そしてベートーヴェンの「第9」を公演し、大絶賛を博しているが、生憎、このときはナマで聴く機会がなかったこともあり、印象もそれほど強烈なものとしては残っていない。しかし、その後ニューヨークに赴任する機会を得て、偶々メットやカーネギーホールで、そのベームを目の当りにして以来、忽ちにして完全に筆者の神様になってしまった。当然のことながら、60年代半ば以降、頻繁に訪米してくれた彼の公演には、ほとんど全てといってよいほど付き合うことと相成るのである。
 その中には、メットでのモーツァルトの「フィガロの結婚」や「コジ」、ヴァーグナーのリング4部作や「トリスタン」、R.シュトラウスの「ばらの騎士」を初めとするオペラ、カーネギーホールでは、ウィーン・フィルと共演の「田園」交響曲やモーツアルトの40番「ト短調交響曲」、ストコフスキーの設立したアメリカン・シンフォニーを指揮したシューベルトのハ長調「グレート」交響曲やR.シュトラウスの「死と変容」などが含まれる。それらの熱演・名演に立ち会えたことは、筆者にとって「一期一会」としか言いようがなく、まるで夢のような瞬間の連続だった。 しかも、このベームという指揮者、当時からライブはめっぽう素晴しいが、スタジオ録音は今ひとつというのが専らの評判だった。当時ボストンの常任だったミュンシュなどもあまりオペラは振らなかったが、同じことが云われていたようだ。 ただ、その中で、筆者にとって唯一これぞベームといえる素晴しいスタジオ録音が、ここで取り上げるモーツァルトのオペラ・ブッファ「コジ・ファン・トゥッテ(女はみなこうしたもの)」だった。

 名作「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」に続くモーツァルトにとっては死の前年に上演されたダ・ポンテの台本によるいわゆるダ・ポンテ3部作の最後のオペラ・ブッファである。 ストーリーは、荒唐無稽というべきか、何とも悩ましく奇想天外なもの。親しい2人の青年士官には、それぞれ相思相愛の恋人が居てしかも相手の女性同志は姉妹である。若者たちは当然のことながらそれぞれ恋人の貞操を信じて疑わない。それを見た老哲学者、「女とは心変わりするもの」とからかうが、怒った2人、まんまと老人の計略にのって賭けまでしてしまい、「それでは」と老人の指図通り、2人共一旦は出征したことにして貴族に変装。残酷にもそれぞれが互いの相手をクドキにかかり、これに姉妹の召使いが調子にのって姉妹にけしかける。結局、2人の姉妹は敢えなくクドキ落とされ、愈々それぞれ新カップルが結婚という段取りになったところで、くだんの哲学者が現れ、「女はみんなこうしたもの」と何とかその場を丸く収め、「ものごとすべて、理性でかたづけ、人の良い面のみ見ている者は、仕合わせ者よ」(永竹由幸訳)と全員の合唱で幕となる。舞台は、18世紀末のナポリ、登場人物は2人の青年士官と夫々の恋人、老哲学者と召使いという6人だけのやや危うい機微と教訓に富んだ喜劇に仕立て上げている。

 作曲家モーツァルトにとっては最晩年、暗く困窮の極みに喘ぐドン底期の作曲にも拘らず、「コジ・ファン・トゥッテ」というオペラ、音楽的には、精緻極まりないアンサンブル主体の いかにも彼らしい明るく軽快な微笑みのなかに少量の毒も盛り込んでちょっとばかり凄みも感じさせる大傑作である。 残念ながら興行的には必ずしも期待通りの成功とはいえず、しかも10回ほどで打ち切られ、その後モーツァルト存命中にウィーンで再演されることはなかった。 内容的には当時から女性を侮蔑した反道徳的なドラマといった評もあり、今なら女性の権利擁護団体当りから強硬なクレームがつきそうだが、ダ・ポンテの他の2作と比べ、人気薄なのはそのせいか。現在に至るまで、とくにその本質的テーマを巡って議論の多い作品だが、美しい音楽がふんだんにちりばめられた傑作であることにかわりはないし、しかもこうした作品が、彼にとって生涯の最も過酷な環境の中で全く何くわぬ顔で生み出されているのは奇蹟としか言いようがなく、これこそモーツァルトが真の天才たる所以でもあるのだろう。

 生前、ベームは、とりわけこのオペラを得意とし、オフィシャルな録音だけでも、1955年録音の英デッカ盤(デラ・カーザ、ルードウィッヒ、デルモータ、クンツなどとウィーン・フィルによるもの)、そして今回取り上げた62年の英EMI盤、もう1つは、74年のドイツ・グラモフォン盤(ヤノヴィッツ、ファスベンダー、シュライアー、プライなどとウィーン・フィルによるザルツブルグ音楽祭ライブ)の3種が存在する。何れも名演だが、唯一となるとやはりこの英EMI盤ということになろう。
 まず配役のシュヴァルツコプフとルードウィッヒ。シュヴァルツコプフに若干の陰りは感じられるが、あらゆる意味でこの2人に匹敵する姉妹コンビは 恐らくこれからも出てくることはないのではないか。ともかく、2人の息がぴったりと合った抜群の歌唱力には舌をまいてしまう。男性陣は、スペインの誇る優雅で美声のテナー、アルフレード・クラウスと芸達者なイタリアの名バリトン、ジュゼッペ・タディ、それに絡むのが老哲学者のベリーと召使い役のソプラノ、ハニー・シュテフェックと申し分ないが、何と云っても、モーツァルトの様式感を踏まえたベームの美しく流れるような音楽が素晴しい。そのなかに漲るいきいきとした躍動感、とくにアンサンブルのうっとりするような見事さ、そしてこのオペラの節目・節目に現れる何たる艶っぽさか。モーツァルトの音楽はこうでなければならない。
 ベームの特徴を無骨とか謹厳実直とか硬派などいう評をみたことがあるが、とんでもない話で、1つには多分ベームの父が法律家だったり、彼自身も法学博士の称号をもっていることなどによる誤解からくるものであろう。第2幕の2人の姉妹が陥落する場面など、まさに触れなば落ちんといった嫋々たる風情とともに妖艶なエロスすら感じさせて、思わずドキッとさせられる。

 さて、このべーム、最初にも触れたが、1981年8月14日、ザルツブルグで他界(享年87歳)、従って今年は没後25周年になる。以下、簡単に生前の略歴を記しておきたい。

カール・ベーム略歴
1894年8月28日
オーストリア グラーツで生まれる
 ウィーンで音楽を学ぶ
1917年(23歳)
指揮者としてデビュー
1921年(27歳)
ミュンヘン国立歌劇場第4指揮者
 (ワルターとムックの招聘による)
1927年(33歳)
ダルムシュタット州立歌劇場音楽監督
1931年(37歳)
ハンブルグ国立歌劇場音楽監督
1934年(40歳)
ドレスデン国立歌劇場総音楽監督
 (R.シュトラウスより歌劇「ダフネ」を献呈され、後に同歌劇場で初演)
1938年(44歳)
「ダフネ」初演
1943〜45年(49〜51歳)
ウィーン国立歌劇場総音楽監督
1954〜56年(60〜62歳)
ウィーン国立歌劇場総音楽監督
以降フリー ザルツブルグ、バイロイト、メトロポリタン歌劇場で指揮 
1963年10〜11月(69歳)
ベルリン・ドイツ・オペラと初来日
1967年(73歳)
ウィーン・フィル名誉指揮者
1914〜18年(20〜24歳)─第1次世界大戦
1939〜45年(45〜51歳)─第2次世界大戦

 1963年以降も、1975年3〜4月(81歳)、1977年3月(83歳)、1980年9〜10月(86歳)と計3回、何れもウィーン・フィルと共に来日。ご本人も大変な日本贔屓だったそうだが、相思相愛というべきか、若い層も含め、日本にも随分とベームのファンも多かったようだ。
 モーツァルト・イヤーと呼ばれた生誕250周年の今年(2006年)、そのモーツァルトを最も得意とし、我々に素晴しい演奏の記憶や録音を残してくれたベームという指揮者を偲びながら、改めてじっくりとそのモーツァルトを聴いてみるのも大いに意義のあることではなかろうか。
 とくに、今やオペラの分野でも舞台を完全に現代に置き換えてしまうような革新的と称する刺激的演出によるものがやたらと多いし、その意味では、この「コジ」などは、いかにも種々新しい試みの可能性を秘めたオペラであることも確かであろう。しかし、そうした今流行の演出ばかりを見たり聴いたりしていると、かつてベームがやっていたような、これぞ「ウィーン風」といった優美極まりない流れの中に、しっかりと本筋を見据えた正統派オペラに限りない郷愁を感じてしまうのである。

 最後に、やや本筋を離れるかもしれないが、かの楽聖ベートーヴェンの「コジ」評。 「『ドン・ジョヴァンニ』や『コジ・ファン・トゥッテ』のようなオペラは私には作曲できないでしょう。こうしたものには嫌悪感を感じるのです。このような題材を私が選ぶことなどありえません。私には軽薄すぎます」(音楽の友社「コジ・ファン・トゥッテ」(田中純訳)より) いかにもベートーヴェンという感じがするが、2人の大音楽家の人生観そのものに対する際立った違いが垣間見えるようで面白い。

 音楽同様、ロココ趣味溢れるジャケット絵は、18世紀フランス・ロココ絵画を代表するワトーによる「2人の従姉妹」の一部。彼は「絵画の詩人」と呼ばれた。ジャケット・デザインは、アトリエ・ジュベールによるもの。