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第029回 2006/10/19
シュヴァルツコプフの名唱によるR.シュトラウス晩年の輝き

DISC29

英EMI ASD2888
リヒァルト・シュトラウス
歌曲集『4つの最後の歌』&5つの歌曲

1.「母親の自慢話」作品43-2 / 2.「森の幸せ」作品49-1 / 3.「献呈」作品10-1 / 4.「親しき幻」作品48-1 / 5.『東方の3博士」作品56-6

エリザベート・シュヴァルツコプフ(S), ベルリン放送交響楽団/ジョージ・セル(指揮)

(録音:1965年9月 ベルリン)


 今年(2006年)の夏は、例年になく暑かったが、そんな8月の初めに飛び込んできたのが、ドイツの誇る20世紀後半を代表する名ソプラノ、エリザベート・シュヴァルツコプフの訃報だった。享年90歳。
 そういえば、今年に入ってから、イタリア・オペラを得意とし美貌と可憐さで人気があったアンナ・モッフォ、フラグスタート亡きあとワグナー・ソプラノとしてバイロイトに君臨したビルギット・ニールソンが他界し、世界は3人の名ソプラノを相次いで失ったことになる。
 シュヴァルツコプフといえば、先ずオペラ。その卓越した素晴しいテクニックで役柄の深い内面まで表現する歌唱、優雅な容姿と振舞い、説得力ある演技、そうした中から自然に滲み出る知性と品格など、とりわけ舞台では抜群の存在感を示したといわれる。
 例えば、レコードになっているものでも、プッチーニの「トゥーランドット」でカラスと共演したリュウ役の名唱が知られるが、ヴェルデイ「ファルスタッフ」のアリーチェなどイタリア・オペラ、フランスものではオッフェンバック「ホフマン物語」のジュリエッタ、ドビュッシー「ペレアスとメリサンド」のメリサンド、さらに英国のヘンリー・パーセル「ディドとエネアス」のベリンダなど、とくに若いころはレパートリーも広く意欲的だった。しかし何と云っても、ドイツ=オーストリア系オペラが中心で、中でもモーツァルトとR.シュトラウス、そしてウィーンのオペレッタを最も得意としたし、全てが超一級品だった。また、ヘンデルの「メサイヤ」、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」ヴェルデイの「レクイエム」あるいは、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」など、宗教合唱曲におけるソプラノ・ソロパートの歌唱も、何れもアンサンブルを重視した素晴しいものだった。
 そして、60年代以降は、同じドイツの生んだ名バリトン、フィッシャー=デイースカウとともに、モーツァルトからシューベルト、シューマン、ヴォルフ、リヒァルト・シュトラウスへと連なるドイツ・リートの分野において比類のない足跡を残したことから「ドイツ歌曲の女王」と呼ばれた。

 さて今回、この20世紀後半を代表する偉大な歌手の死を追悼するために 彼女のどのディスクを取り上げるかで随分と迷った。
 以前オペラでは、文句なしの当り役、元帥夫人マルシャリンを歌ったリヒァルト・シュトラウスの「薔薇の騎士」や、ジュリーニ指揮で伯爵夫人のモーツァルト「フィガロの結婚」、更に彼女がソプラノパートを受け持ったフルトヴェングラー指揮によるバイロイトでの「第九」を取り上げているので、取りあえずは、リートにしようと決めたのだが、これも中々選択が難しい。
 筆者にとって最後までどうしても落とせなかったのが、ギーゼキングの伴奏による「モーツァルト歌曲集」(1955年録音)、エドウイン・フィッシャーと共演の「シューベルト歌曲集」(1952年録音)、そして、管弦楽伴奏によるシュトラウスの「最後の4つの歌」(1965年録音)の3点だった(何れも英EMI)。これは、個人的な思い入れの問題だから如何ともし難いのだが、敢て恨みがましく夫々の良さを述べると、まずモーツァルト。今年はモーツァルトの生誕250周年でもあるし、この名盤は、その点でも相応しい。しかもモーツァルト弾きとして知られた名手ギーゼキングにとっては死の1年前の録音である。ただし、「すみれ」「夕べの想い」「クロエに」「春へのあこがれ」「老婆」など唖然とするほど上手いシュヴァルツコプフの歌も然ることながら、ちょっと見方を変えればギーゼキングのピアノを聴くべきレコードにもなっている。これに対し、「シューベルト歌曲集」のフィッシャーによるピアノは、恰も彼女の歌に寄り添うように一体となり、例えば「糸を紡ぐグレートヒェン」や「若い尼僧」のドラマ性、「シルヴィア」「楽に寄す」「春に」「悲しみ」でのリリカルな表現など、2人の阿吽の呼吸が絶妙で何回聴いても思わず唸らされる。やはり名盤中の名盤というべきであろう。(この外、識者によれば、ヴォルフの幾つかの歌曲集、例えば、「ゲーテ歌曲集」「イタリア歌曲集」「スペイン歌曲集」が絶品というが、生憎筆者はこれらを十分聞き込んだという状態ではないので、ここでは除外させて頂く)
 結局は、熟慮の結果、彼女自ら述べていた通り、自身の録音ディスコグラフィー中、最も好きで自信もあったというリヒァルト・シュトラウスの「最後の4つの歌」を取り上げることにした。更にいえば、作曲家シュトラウスにとって生涯の最晩年に於けるこの死をテーマにした歌曲集ほどシュヴァルツコプフを追悼するのに相応しい曲もなかろうと思われたからだ。ただ、この歌曲集、彼女の得意なレパートリーだけに公式録音だけでも3種類、さらに放送録音などを含めると10指にあまる録音が存在する。公式録音では、38歳のとき指揮者アッカーマンと組んだもの(1953)が最も早く、次にカラヤンと(1956)(何れもフィルハーモニア管弦楽団)、最後が今回ここに取り上げるセルとの共演によるものである。しかし、こうした作曲家最晩年の心境を内容とした作品ということであれば、やはり彼女にとっても50歳直前のまさに円熟期の録音となった1965年のセルとの共演盤があらゆる観点からベストであろうと考えられる。

 エリザベート・シュヴァルツコプフ。1915年、当時プロシャ領(現在はポーランド)だったヤーロトシンの生まれ。両親はドイツ人である。ベルリン音楽大学で学んだ後、当時の名ソプラノ、マリア・イヴォーギュンにつく。当初はアルトだったが、マリアの指導でソプラノに変更後、1938年ベルリン市立オペラに入団しデビュー。1942年、ウィーンでの歌曲リサイタルで、指揮者カール・ベームに認められ、翌年ウィーン国立歌劇場との間でコロラトゥーラ・ソプラノとして契約、とくにモーツァルトのオペラで頭角を表す。
 40年代後半には、声質もリリック・ソプラノの役柄が中心となり、特にフルトヴェングラーやカラヤンとの共演が多くなった。51年、ストラヴィンスキーのオペラ「道楽者のなりゆき」の世界初演でアン・トゥルーラブの役では大成功し、同年、英EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグと結婚。レッグの後ろ盾もあり、それ以降が彼女にとって最も充実した時期となった。
 ウィーン、ザルツブルグ、コヴェント・ガーデン、バイロイトでの地位を不動のものにするが、79年にはウィーンでのリサイタルを最後に現役を引退し、その後はジュリアード音楽院などで後進の指導に当たる。1968年以降、5回来日したが、最後の83年の来日も歌唱指導が目的だった。

さて、そのシュヴァルツコプフによるR.シュトラウスであるが、一言で言えば、彼女こそ、必ずしも当時評価が定まっていなかったこの老作曲家のとくに晩年の一連の作品群に対し、より華やかに彩りを添えた最大の功労者の1人だったといえるのではないか。
 少年時代から神童とか「モーツァルトの再来」と呼ばれた天才、R.シュトラウスは、オペラ「サロメ」や「エレクトラ」で頂点を極めたにもかかわらず、世紀が変わるや、19世紀後期ロマン主義へと転向。オペラでは「薔薇の騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「アラベラ」「カプリッチオ」、リートの分野でもシューベルト以降の伝統に立ち返ってせっせと量産はするのだが、当時の一般的評価はこうした復古傾向に対して必ずしも好意的ではなかった。もっとも彼がリートに注力した理由は、夫人パウリーネがソプラノ歌手であり、しかも有名な恐妻家として知られていたこともあろう。
 また彼に対する評価というより大衆的人気が今ひとつだったのは、戦争中ナチス第三帝国の音楽総裁を務めるなど、ナチスとの関係が始終取りざたされていたこととも決して無関係ではない。偶々、この作曲家の息子の嫁つまり義理の娘がユダヤ系だったため、父親としてはそうせざるを得なかったとも言えるのだが、戦後非ナチ化裁判で最終的には無罪となったものの、毀誉褒貶の多い人物として彼の周辺には何時もこの種の胡散臭さがつきまとっていたことも確かであろう。地位や金に執着するところなど超天才にありがちな俗物的志向といったところであろうか。好意的にみれば、モーツァルトなどにも共通する憎めない人間臭さといえるのかもしれない。

 このR.シュトラウスの転向以降の後期を代表するオペラとリートの両分野で幾多の作品を特に戦後になって積極的に取り上げ、しかも輝かしい成果を収めたのが、外ならぬシュヴァルツコプフであった。たとえば、「薔薇の騎士」(1910)のマルシャリン、「アリアドネ」(1912)のタイトル・ロール、最後のオペラとなった「カプリッチオ」(1941)の伯爵夫人など 文句なしの彼女の圧倒的名演によって、少なくともその名声・人気は大いに高められ、不動のものとなった。
 さて、R.シュトラウスにとって“白鳥の歌”とも言われる死の前年に作られた最後の作品「4つの最後の歌」は、こうしたやや俗物的作曲家にとって、管弦楽伴奏というやや古風な形式ながら、最晩年の澄み切った枯淡の境地を謳いあげた傑作であり、筆者の最も好む歌曲集の1つになっている。最近、益々この作品に惹かれるのは、漸くこうした心境が少しは分かりかけてきた年齢に至ったということかもしれない。
 「春」「9月」「眠りの前」「夕映えに」という4つの曲から成り、しかも通常はこの順番で歌われるのだが、作詩者は、第1曲から3曲までがヘッセ、最後の第4曲がアイヒェンドルフで、曲の順番も特に作曲者による指定はない。しかし、春の喜び(1)のあとに、夏が終わり、やがて秋の到来とともに、9月の情景が描かれ(2)、1日の辛い生活に疲れ果てて夜の眠りを願望するが、独奏ヴァイオリンの間奏部のあとにはその眠り(死)に天国的憧憬が重ね合わされ(3)、最後は夕映えを目前に死をはっきりと意識する(4)という一連の流れが実に自然で無理がない。中でも第4曲「夕映えに」は、この歌曲集の白眉であり、美しく壮大な夕映えのあと、「長い放浪の旅で疲れ果てた。でも、なんて、静かで平和な気分なのだろう。あるいはこれが死というものだろうか?」という最終節の冒頭で恰も自身の若きころを回想するように彼が60年前に作曲した交響詩「死と変容」の1節が現れる。
 シュヴァルツコプフの名唱は、正確で美しいドイツ語による1つ1つのフレーズの中に、深い瞑想と微妙な陰影を込めながら、淡々と人生の諦観を歌うのだが、最後に聴き終わったあとに残る静かな感動の世界こそ彼女のみが創出できる独壇場ではないかと思わせる。
その逝去の報に接し、このレコードに針を下ろしてみて、とても余人をもっては代え難い彼女の偉大さを改めてしみじみと痛感した。 合掌

 ジャケットは、EMIによるシュヴァルツコプフの公式ポートレイト。同じフロント・カヴァーを使用したCD盤によれば、デザインは、「エンタプライズ IG」とクレディットされている。