アメリカを代表するポピュラー・ミュージックといえば、その歴史的沿革や地域的な拡がりの点からも、やはりカントリー・ミュージックということになろう。
文字通り、アメリカのカントリー(都市部でない地方つまり田舎)に住む主に白人の間で歌われてきた通俗音楽。その支持基盤は、いわゆるWASP(ホワイト、アングロ・サクソン、プロテスタント)であり、どちらかといえば、地方の保守層・高年齢層に多かった。しかし、最近では、急速に都市部や若者たちの間にもその基盤を広げつつあるという。
元々、イングランド、スコットランド、アイルランドなどアングロ・サクソン系民謡をルーツとし、そのためか独特の癖のある発声法に基づき、ソロではバンジョーかギターを伴奏に、バンドではフィドル(ヴァイオリン)を中心に演奏されるが、今やアメリカ東南部から中西部、南部、西部へと拡がる広大な地域をカヴァーする。いわば、“白人のブルース”もしくは日本の演歌みたいなもので、お馴染みハリウッド西部劇のバック・グラウンドに流れている音楽は、ほとんどがこの系統である。ただし、別名カントリー&ウェスタン・ミュージックとも呼ばれるが、この“ウェスタン”とは、現在のカリフォルニアを初めとする大西部ということではなく、東部アメリカを南北に横たわるアパラチア山地の西部に広がる農耕地帯のことであり、その中心にテネシー州の州都ナッシュヴィルが位置する。
日本でも有名なヒット曲といえば、あの「テネシーワルツ」とか、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」、ハンク・ウィリアムズが歌った50年代の「ジャンバラヤ」、ウィーリー・ネルソンによる70年代の「我が心のジョージア」、ジョン・デンバーの「カントリー・ロード」などであろうか。
もともとアメリカ東南部では19世紀から歌われていたが、都市部も含めて全土に流行し始めたのは、日本の演歌同様、1920年代、即ちラジオやレコード、映画が全米に普及しだした時期と一致する。
ちなみにカントリー・ソング最古のレコードが吹き込まれたのは、1922年のことであり、1924年、ヴァーノン・ダルハートによって録音された「囚人の歌」は、初めてのベスト・セラーとなった。
さらに、カントリー・ミュージックを盛んにしたのが、1925年11月以降、史上最長にしてカントリー界最大の祭典「グランド・オール・オーブリー」がナッシュヴィルのラジオ局WSMで始まったことであろう。
この祭典が始まる1925年ごろまでは、ヒルビリー(Hill Billy)と呼ばれていたが、やがて、40年代からウェスタンとか、カウボーイ・ソング、50年代には、カントリー&ウェスタン(C&W)、そして、60年代後半以降は、ウェスタンが外れて、単にカントリー・ミュージックと呼ばれるようになった。ただし、日本では、ウェスタン・ミュージックと呼ばれていた期間が長かったように思う。
先にも触れた通り、当初は、もともと民謡に近く、エレキなどは使用しないブルーグラスだったが、現在では、ご多分にもれずエレキやスティール・ギター等、電気楽器やピアノ、ドラムスまで登場する。
一概にカントリー・ミュージックといっても、その種類は、ブルーグラス、カウボーイ・ソング、カントリー・ゴスペル、カントリー・コメデイ、カントリー・ダンス、ロカビリー、歌の入らないインストゥルメンタルズなど、時代、地域により、多岐に細分化されるし、演歌同様数知れないアーティストを輩出しながら、現在に至っている。カントリー・ミュージックとして、全米で認知されるようになってからの最初のスターといえば、「キング・オブ・カントリー・ミュージック」、ロイ・エイカフ(1903〜1992)であろう。自身フィドルの名手で、シンガー・ソングライターであり、1937年以降は、「グランド・オール・オープリー」の常連、1940年から幾多の映画にも出演し、カントリー・ミュージックの普及に大いに努めた。
続いて、ブルーグラスの父ビル・モンロー(1911生)、ハンク・スノウ(1914生)、エデイ・アーノルド(1918生)、夭折した伝説上のシンガー、ハンク・ウィリアムズ(1923-1953)、ジム・リーヴス(1924生)、マーティ・ロビンス(1925生)、ジョージ・ジョーンズ(1931生)、2003年に亡くなったジョニー・キャシュ(1932生)、ウィーリー・ネルソン(1933生)、クリス・クリストファーソン(1936生)、グレン・キャンベル(1936生)、ケニー・ロジャース(1938生)などのヒーローとともに、カントリー史上には、ミニー・パール(1912生)、キティ・ウェルズ(1919生)、パツィ・クライン(1932生)、ロレッタ・リン(1935生)、ドリー・パートン(1946生)などのヒロインが登場し、大いに彩りをそえた。
そうした中、現在の「キング・オブ・カントリー・ミュージック」といえば、やはりガース・ブルックスということになろう。
巨大なアメリカのミュージック市場とはいえ、今までに1億枚以上のレコード・セラーとなると、先ずはビートルズ、レッド・ゼッペリン、そしてこのガース・ブルックス、エルビス・プレスリーしかいない。ビートルズなどのグループを除くソロ・アーティストでは、エルヴィスを抜いて、ガースがトップであり、しかも10年足らずの短い期間でこの偉大な記録を達成、「カントリーは売れない」というジンクスも見事に覆してしまった。
爆発的に売れるということは、当然それなりの理由があるわけで、どのアルバムも半端ではない内容的にも充実したものであり、1カントリー・ソングというジャンルを超えてロックやポップスをも取り込んで斬新、かつ時代感覚にもマッチし、アメリカ人の心を捉えて離さない結果であろう。ほとんどが、自作もしくは、共作であるが、そうした斬新さの中に、意図的ではないかもしれないが、古くからのカントリー・ミュージック独特の良さをも留めている。やはり、ただ者ではない非凡なシンガー・ソングライターというべきであろう。
1962年、オクラホマ州タルサの生まれ。母も、コーリン・キャロルという芸名でレコードを出したことのあるシンガーで、子供のころから音楽的環境には恵まれていたが、どちらかと言えば、スポーツのほうが好きで、大学時代は陸上を初めスポーツに熱中した。傍らバイトでバンド演奏などをしていたが、漸く本来の音楽にも興味を抱くようになり、1988年、キャピトルと契約。最初のシングル「マッチ・トゥー・ヤング」がいきなりビルボード誌チャートの10位にランクされる。続いてのシングル、「イフ・トゥモロウ・ネヴァー・カムズ」「ノット・カウンティング・ユー」「ザ・ダンス」が、すべて1位となり、これらを収録したデビュー・アルバム「ミスター・アメリカ」は、1989年発売以来400万枚を突破。同じくキャピトルから発売のアルバム「ノー・フェンセス」(1990年)「アメリカの心」(91年)が何れも大ヒットし、とくに第3作「アメリカの心」は、ビルボード誌トップ200チャートの第1位にランクされる記録的売上げを示した。
続いてリバティから出した「クリスマス・アルバム」もヒットするが、同じくリバティからの第2作目のアルバム「ザ・チェイス(果てしなき野望)」が、今回このコラムで取り上げるアルバムである。このなかに収録されている嵐の夜の若い男女を歌ったヒット曲「サムホエア・アザー・ザン・ザ・ナイト」も良いが、発表と同時に大いに物議をかもしたのが、自作「ウイ・シャル・ビ・フリー」(自由を求めて)という曲だった。ゴスペル風コーラスをバックに、ミーディアム・アップの軽快なテンポにのせて歌われるが、生憎、日本盤の歌詞カードが手元にないので、気になる箇所のみ拙いが抄訳してみると、
「1片のパンを求めて泣き叫ぶ幼児が1人もいない世界になるとき、
・・・
肌の色なんかどうでもよいことで、何よりも心の美しさこそが求められるような世界になるとき、
大空や大海が再び本来の清浄さを取り戻すとき、
・・・
この世界が、どんな考え方も受け入れるほど大きくなるとき、
・・・
お金がものを言うなどは最後の最後になるとき、
世界で存在するのは、人類というたった1つの人種になるとき、
・・・
俺たちは、真に自由になれる。」
ここには、間違いなくアメリカや世界の現状に対する強い不満とともに彼自身抱く未来の理想像が真情として若者らしくストレートに吐露されている。このアルバムも、発売と同時に忽ち500万枚以上を売切り、ベスト・セラーとなった。
翻って最近、低迷状態が続く日本の演歌界を眺めてみると、もっともっと若者の(日本の若者といっても決してワン・パターンではない!)時代感覚にも合わせて脱皮していかなければならないし、時にはこうしたリベラルな挑戦的要素も必要となるのではないか。勿論、日本人とアメリカ人の国民性の違いはあろうが、それでも尚、日本演歌における社会性の大いなる欠如は否めない。(少なくとも、80年代前半ころまでの演歌には、未だそうした要素が十分認められた)「攻撃は最大の防御」ともいうが、今ほど思い切って古い殻を突き破る冒険が必要なときはないのではなかろうか。
アメリカにおけるカントリー・ミュージックのしぶとさと繁栄振りをみるにつけて、演歌に強い郷愁を感じる筆者にとって、何かと不満がつのる昨今ではあるのだ。
ジャケットに対するクレディットは、アート・デイレクションがヴァージニア・ティーム、デザインはジェリー・ジョイナー、フォト撮影がビヴァリー・パーカーとなっており、白と黒の強いコントラストを基調に典型的アメリカの若者といった感じの格好いいガースがあぶり出される。これまた憎い演出というべきか。
P.S.
ガースは、2001年、突然引退声明をして、ファンを驚かせ、その後彼に関するニュースはあまり伝わってこないが、同年代のヴィンス・ギルやアラン・ジャクソンなどを初め、彼に触発された新世代を中心にアメリカのカントリー・ミュージックは、ドッコイ!まだまだ健在なりとのことである。 |