今年(2005)は、5年に1度のショパン・コンクールの年だった。
ショパン縁りの町、ポーランドの首都ワルシャワには、世界中から300人近い参加者が集い、9月終わりの第1次予選から、1ヶ月以上にわたり本選の最終選考を目指して激しいコンペが繰り広げられた。
ショパン研究家の佐藤泰一氏は、この7月「ドキュメント─ショパン・コンクール(その変遷とミステリー)」(春秋社)という労作を出版されたが、ショパン・コンクールに関する貴重な参考文献であると共に、最近やや低調でマンネリ化しつつある現状に対する厳しい警鐘の書にもなっている。
1927年に第1回コンクールが開催されて以来、今年は15回目となるが、世界のひのき舞台への登竜門であることは昔も今も変ることはない。このコンクールに入選して世界へと羽ばたいた著明ピアニストは数知れないが、(この辺の詳細は上掲書に詳しい)戦後のみに限ってみると、ビッグ3は、やはりアシュケナージ(第5回2位)、ポリーニ(第6回優勝)、アルゲリッチ(第7回優勝)ということになろうか。
とくに ポリーニが優勝した1960年開催の第6回コンクールは、ショパンの生誕150周年に当り、すべてが特別仕立てだった。(国連もこの年を「ショパン年」と宣言)前掲書によれば、審査員の総勢が35名、その顔ぶれも豪華で、地元ポーランド出身では、アルトゥール・ルービンシュタイン以下、マウツジンスキ、アスケナーゼ、ホルショフスキー、ソ連からは作曲家のカバレフスキー、ゲンリヒ・ネイガウス、セレブリャコフ、ヤコブ・ザーク、フランスからナデイア・ブーランジェ(作曲家)、フェブリエ、その他の国では、フランティセク・ラウク(チェコ)、マグダ・タリアフェロ(ブラジル)、ロベルト・リーフリング(ノルウエー)、ハロルド・クラクストン(英国)など実に多士済々だった。
この栄えあるコンクールにおいて、コンクール史上初めて、ポーランドとソ連以外から、しかも若干18歳で優勝したのが、イタリア人ポリーニだった。
マウリツィオ・ポリーニ。1942年、ミラノの生まれ。幼少のころから天才振りを発揮し、ミラノ音楽院ではカルロ・ヴィドウッソに師事。このショパン・コンクール以前にも、58年のジュネーブでは2位、59年ポツォーリでは優勝者となっている。
しかし、何故かショパン・コンクールで優勝後、彼は10年の間、コンサートやリサイタルなど表舞台からは姿を消し、いつしか音楽ジャーナリズムの話題にも上らなくなってしまった。後に云われるポリーニの「沈黙の10年間」である。その間に、哲学や数学を勉強したとか、ルービンシュタインとベネデッテイ・ミケランジェリという両巨匠に個人的についてピアノの研鑽をしたとか、あるいは指揮や作曲に集中したとか、いろいろと尾ひれがつくことになるのだが、満を持して聴衆の前に再び公式デビューしたのが、1971年のロンドンだった。以降それまでの空白を一挙に取り戻すかのようにコンサートやレコーデイング活動に注力するようになる。
今回取り上げたエチュード集作品10と25は、こうした一連の成果の中でも、最も注目されたレコーデイングの1つだった。
ショパンの作品の中でも「別れの曲」「黒鍵」「革命」「エオリアン・ハープ」「木枯らし」、超難曲といわれる2番(作品10の2)と18番(作品25の6)など著明な曲を含むこのピアノ曲集は、もともと練習用の曲として作曲されたもの。例えば、作品10の1は、右手のアルペッジョの練習、5番の「黒鍵」では右手は黒鍵のみ、作品25の6番(18番)は3度のトリルの連続など、中には極めて困難な演奏技術が要求される一方、独創的な音楽的表現に充ち充ちた20代の若き作曲家によるピアノ音楽の集大成といわれる作品集である。
さて、このポリーニのエチュード集、「3度の難曲」とも呼ばれる18番に示されるごとく、速いテンポで正確無比なテクニック、技巧とともに優れた音楽性をも兼ね備えたエポック・メイキングな名演といわれ、一躍、彼の名声を世界に轟かせるとともに、この曲の伝説的決定盤といわれて久しい。彼以降、唯一対抗し得るエチュード集といえば、アシュケナージによるものだろうか。
その後のポリーニ、レパートリーをショパンに限らず古典と現代音楽に拡大して、いまや押しもおされぬ世界を代表するピアニストとして君臨しているのだが、振り返ってみて、ショパン・コンクール優勝後の「沈黙の10年間」とは、彼にとって一体何だったのか、改めてその意義を考えてみるのも面白い。
さて、今年のコンクール、最終的には、久し振りに地元ポーランドのラファウ・ブレハッチが優勝、日本人も本選に4名が残り、大いに期待されたが、関本昌平、山本貴志の両名が4位に入賞して無事終了した。 次回2010年に開催予定の16回コンクールは、再びビッグ・イアーで、ショパンの生誕200年と重なることになる。 ジャケットの写真は、ミラノの写真家ジャンバルベリスによるもの。鍵盤に両手をおく真剣な眼差しの若き日のポリーニのプロフィールである。 |