英語の原題は、Rhythms of Life、つまり「生命のリズム」。ここで取り扱う生命領域は、地球上の全生命に及びます。人類を含めた哺乳類から、動物界全体、植物界全体、更には、古細菌と真正細菌に分類される微生物に至るまで。またここで扱う時間領域は、地球上に古細菌として生命が誕生したと洞察される35億年以上前からの生命全史に及びます。
動植物が、季節によって様々な対応をとることは、人間にとって経験的に明らかなことでした。例えば、ある種の鳥は、恒常的に一定の季節に移動し(渡り)、またある種の哺乳類は寒くなる時期に冬眠に入り、春に目覚めてきます。また、植物は種類ごとに花を咲かせ、種を結ぶ時期を決めているかのようです。他方で、一日の動きを見ても、動植物ともに、ある条件下では、ほぼ同じように周期的な活動を繰り返します。一日中の周期で生命が恒常的な活動をするリズムを概日リズム(サーカディアンリズム)と規定しています。地球の自転周期とほぼ同期して生物が活動することの最初の科学的な研究者として、著者(達)は18世紀のフランスの天文学者ジャン・ドルトゥ・ド・メランを紹介しています。概日リズムという言葉がなかったにしろ、生物の活動に周期的なリズムが、地球の自転速度と同期して存在すること、つまり生物時計(動物の場合体内時計)が存在することは200年以上前から知られていたことでした。
この生物時計に20世紀の科学的なアプローチを初めて試みた研究者グループの代表として、著者は1960年代のコリン・ピッテンドリを挙げています。この後「時間生物学者」とも呼ばれるようになった研究者の一人、ジョン・パーマーは、「生物時間の謎をさぐる」(大月書店、2003年出版)のなかで、この後の研究の進展過程を次のように概括しています。
「生物時計の探求の歩みは、単調な、長い時を要した。その理由をあげれば、リズムの研究が前進するためには、まずある専門分野の理解が広範にゆきわたって、リズムの研究に応用できるようにならなければならなかった。すべては、植物学者と動物学者の地道な観察努力から出発した。<略>ようやくにして彼らの主張が認められ始めたとき、より多くの生物学者、生物物理学者、数学者、そのほかいろいろな学者が関心を寄せて競技に参加するようになった。<略>この実験室において、生物時計の存在する場所が体内に次々と発見された。その次にやってきたのは、生物時計の化学的な基礎を把握するという生化学の苦闘であった。最後に分子遺伝学者がゲームに参入してきて、基礎となる時計仕掛けは、ヌクレオチドがつらなるDNAにあることをつきとめた。」
問題はここから更に深化し、残されている諸課題をパーマーは、「気温が異なるのに時計は同じ速さで動くが、何がそれを可能にしているのかとか、時間はどのようにして、それがリズムを生じさせた過程とつながっているのか、等々」として挙げている。 「生物体が有するリズムは生物にとって基本的な特質」であり、「そしてこのことは、ほんの50年前、精力的な研究努力が開始された頃には、じつはほとんどなにひとつわかってはいなかったことなのだ」と回顧しています。
パーマーの言うこの50年間の歩みの本筋をたどっているのが、第10章 時計の進化まで。1972年、ムーアの研究チームが時計のありか、SCNに辿り着き、それを検証する過程(第5章 時計を探して)は大変に興味深いものがあります。その数年後、日本の研究者二名(井上、川村:三菱化成生命科学研究所)が更にそれを詳細に検証していく様子も描かれています。著者は「哺乳類のマスター・ペースメーカーがSCNにあることを突き止めたことの快挙は強調してもしすぎることはないだろう。<略>哺乳類の概日タイミング機能の大部分が、視床下部にあるそれぞれ細胞二万個ほどの一組の神経核SCNに存在していることを突き止めたという成果は、サクセスストーリーの一つである」と賞賛しています。ただ前掲のパーマーは、体内時計としてのSCN発見を大々的に喧騒した当時のマスメディアを一言で、SCNを持たない生命体が多く存在し(例えば微生物)それゆえ、全生命に共通する生物時間の解明には程遠い、と冷静に見切っています。それは研究者としての本人が、時間生物学の奥深さを十分に認識している経験から言わせた言葉のように思えます。
この著書の問題提起は、最終的には概日リズムのヒトへの応用のように思われます。その一つは、生物時計を解明してきている、時間生物学の50年間の成果が、必ずしも現代医学に生かされていないことです(第13章 薬の投与と体内時計)。ヒトの体温、血圧の概日リズム上の決まった変化、病気の症状の時間的な発現の定期性といった要因が、医療上の患者に対する対処にほとんど生かされていない(アメリカの)現実として問題点を指摘しています(おそらく日本の医療もそうでしょう)。
更に今後の、概日リズムとヒトとの関係で、ヒトはどのようにこの、未だ進化の途中とはいえ新しい科学的賢察を自身に応用していくのかと問うています。ユーロクロニア(同調世界)か、ディスクロニア(脱調世界)かと(第14章 未来の時間)。つまり、睡眠を含むヒトの周期的な生理活動を時間生物学的に解き明かしていく延長上に、人為的にそれを克服し(例えば24時間睡眠をとらなくても活動できる)、その意味で「時間を操作して、時間のストレスを受ける市民に時間の天国『ユーロクロニア』を提供する世界をつくり上げることができるだろうか。それとも未来の世界は時間の地獄『ディスクロニア』だろうか」と。
ほぼ24時間で自転し、ほぼ365日で太陽の周りを公転する地球。地球上に生命が古細菌として誕生してから35億年以上を経過する中で進化を遂げていったすべての生命体は、必然的にこの地球の自転、公転周期に影響を受けてきたはずです。その鍵を解こうとしているのが時間生物学なのでしょう。ヒトは、時間概念を長年の天体の観測の中で学習し、自覚し、自ら時計を作り出すことで時間を克服(管理)できたと妄想できたようです。しかし、生物時間への研究と洞察は、ヒトといえども地球生命のひとつであり、自らを生み出した数十億年の生命進化の結果である現実を再び思い起こさせるだけでなく、とりわけ医療部分におけるその適応範囲の広さに、足元を知ることの困難さと、その反面将来の可能性の無限とも言える領域の一部に立ち入っていけることを知らされる一書です。
様々な生物を研究対象とした実例が数多く挙げられ、動植物のお好きな方にはスムーズに入っていける著作です。途中のかなり専門領域に渡る解説箇所はかなり難解。ただ朝寝坊の夜型人間の方には、「第11章 睡眠と能率」だけでもお読みになることをお勧めします。また1,2章の後、眠くなって途中で投げ出したくなったら、「第13章 薬の投与と体内時計」がお勧め。眠気を覚ましてくれます。