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第34回 2005/04/01
魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか
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書名:魔魚狩り ブラックバスはなぜ殺されるのか
著者:水口憲哉
出版社:フライの雑誌社
出版年月日:2005年3月1日
ISBN:4−939003−12−4
価格:1,800円(税込)
http://www.naturum.co.jp/item/item.asp?item=381921

本書の筆者紹介によると、筆者、水口憲哉氏は東京海洋大学沿岸域利用論研究室教授であり、かつ夷隅東部漁協組合員。ご本人との知己はないが、なんとなく現場のわかる研究者というイメージを想起させます。この著作は、書名とした課題に真っ向から取り組んで書き下ろしたというものではありません。著者が1989年から昨年(2004)年末までに、季刊雑誌「フライの雑誌」に連載した、釣り、それを取り巻く自然、行政、学会にかんするコメント、「釣り場時評」を、3つの章に再編集されたもの。環境保全を語り、固有種の保護上ブラックバス抹殺を議論することが一種の「世論」ともなりつつある昨今、なかなかインパクトを与えるタイトル創出ではありました。

環境破壊に敏感な今日の風潮の中で、保全すべき環境とは何かについての内容がきわめて中途半端なままに据え置かれているのが現状です。理想とすべき環境とは、いつの時代のものであるのかがまず問われるべきでしょう。日本列島がユーラシア大陸から分離し、現在と変わらない姿になったといわれる、約20万年前の更新世中期を理想とするわけにはいかないでしょう。

旧石器時代を経て、縄文、弥生の時代にまで遡りますか。ヒトの生活と文化がこの列島で確認されるようになって以降の、自然とのかかわりの劇的な変化は19世紀後半の、明治維新以降の世界的な文化的、産業的、人的交通量の大規模な増大がまず挙げられます。興味本位にしか知られ、語られることのなかった海外の動植物がヒトとともに大挙してこの列島を訪れたり連れてこられたりします。多くの外来種の第1次日本上陸時代ともいえるでしょう。そしてこれに次ぐ大きな変化は、パックス・アメリカーナの世界の中で、政治的主導権を戦勝国に委ねた、1945年以降訪れます。次々と紹介される新薬と新たな食生活の提案は、ヒトの人命を助ける前に、この国の農業と漁業のあり方を抜本的に変えてしまいました。

更に1950年代後半以降の所謂高度成長期を経て、1990年にはじけたバブル経済に至る期間、今度は外からではなく内から、行政と大資本は自然に大胆かつ暴力的に関わってきました。ダムのない大きな川がこの列島にいくつあるのでしょうか。田に水を引いても生き物を見ることがなくなって何年経つでしょうか。絶対安全をうたった原子力発電所の「些細な」事故の連続はもう隠しようがありません。こうしていまや自然が何らかの形で破壊されていることが誰の目にもわかるようになってしまいました。

政治的立場の如何を問わず、いかなる大資本も、「環境保護」はこれを非とすることができないほどに日常生活の前提となってきました。かくて今年の愛知万博は、「愛・地球博」と名づけられています。

ブラックバス(サンフッシュ科、オオクチバスとコクチバスを総称して呼ばれています)は、明らかな外来種です。1925年(大正14年)に事業家、赤星鉄馬氏が箱根、芦ノ湖に導入したオオクチバスがその日本における元祖とされています。いまや「害魚」の象徴であるかのように書き立てる新聞やサイトが多くあります。

例えば、平成13年(2001年)10月に秋田県雄勝郡羽後町では、町のため池に繁殖したブラックバス(オオクチバス)に対して、「在来の小魚を食べ、これまで護り続けてきた豊かな生態系が崩壊の危機に直面している」として、ため池の水を落とし、ブラックバス約2,000匹を捕獲、殺傷処分。しかし、胃の解剖の結果発見されたのは、同じオオクチバス(つまり共食いした)、ネズミ、カエル、オタマジャクシだった。しかしこの行動を起こした人々は、「わたしたちがこれまで慣れ親しんできた自然が、変わるかもしれない危機に直面している。どこのため池にも、フナやタナゴ、鯉、エビ類、貝、水生生物が豊富であったが、ただ1種類のブラックバスによってその環境が壊れようとしている」と総括し、「第2、第3の捕獲作戦を検討している」と結論を出しました。

まずこの捕獲作戦を主導した方々は、「フナ、タナゴ、鯉、貝、水生生物」の減少傾向(もしくは絶滅現象)とブラックバスの関係を何ら論理立てて説明していない。ブラックバスをどこかの不心得ものが放流する以前に、ヒトの影響によってその「ため池」の生態系が既に破壊されていたかもしれないことに故意に触れようとしていない。また今回の実験的捕獲の結果、共食いが一部であれ証明されたのであれば、更なる繁殖は一般的に考えられない。また、捕獲された全ての水生生物を開示していないので、今後ブラックバスを何から守ればよいのか判らない。

ブラックバスはまさに魔女ならぬ魔魚として、生態系保護の生贄にされているとしか思えません。筆者、水口氏は、ブラックバスが「冤罪」に問われる具体的な背景として、第一に鮎の冷水病をはじめとした、内水面漁業(海辺での沿岸漁業に対して、内陸河川での漁業)の経営の危機、第二にここ十数年来の環境、生態系、生物多様性、絶滅危惧種、在来種の減少などがキーワードとして重視される社会風潮、第三に環境問題における善悪の構造を意図的に作り上げつつある行政のありかたを挙げています。

本来こうした危機は、開発の名の下になされたヒトの自然破壊事業を原因となすものです。それは、自然の保護を通してそこに生きるヒトを守る政策へと転換すべきであるものを、守られる主体をあるときはサツキマス、アオサンゴ、シジミ、ムツゴロウなどの「善玉」とすり替え、かくして「在来種や絶滅危惧種の大敵、ブラックバス」が「悪玉」として槍玉に挙げられている現状を告発しています。激情に走ることなく、環境を自然に見つめる穏やかで優しいまなざしを感じます。この著作中で、特に面白かった3篇は以下のとおりです。まったくうなずくことしきりでした。「日本の内水面の釣りはパチンコ化している」、「捕鯨、外来魚、原発の屁理屈を斬る」、「バス問題とサツキマスにおける作意と作為」。

環境保護を、理想のある過去の時点に戻すこと、とすることは現実問題として不可能でしょう。ヒトの自然に対する努力によってある程度の修復はできるけれども。まずこれ以上悪化させないこと。それから本当の「悪玉」を見据え、目をそらさないこと。それしかないのではないのでしょうか。恐らくは筆者の水口氏もそうであろうと思いますが、外来種はなるべく持ち込まない方がよい。どのような関係を作るかは安易に推測もできないけれど、何らかの形で在来種の生息域と生息環境との間で摩擦が生じるであろうことは事実でしょう。

大群生したセイタカアワダチソウが咲き誇る川辺に、ミシシッピアカミミガメが数匹も甲羅干ししている姿は、いただけません。しかし、これが現実です。外来種については持ち込まないこと、人為的に増やさないこと以外に対応の有効な手段はないように思います。セイタカアワダチソウと花粉症の関係が立証できなくなった段階で、この外来植物種はブラックバスとは異なり悪玉の程度を減じられたようですが。私たちが関わってきた政治のあり方を不問に付すための合言葉として、ブラックバスの抹殺が環境保護、在来種の保護、生物多様性の確保の美名の下に謳われていることに警告を発している書です。釣りに興味のある方にもない方にもお薦めします。