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第02回 2002/02/20
幻の漂白民・サンカ

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書名:幻の漂白民・サンカ
著者:沖浦和光
出版社:文藝春秋
出版年月日:2001年11月25日第1刷

この著作の宣伝用の帯には、小説家五木寛之氏のコメントとして「柳田國男、三角寛、以来の山窩論争に終止符を打ち、日本人の山窩幻想を鮮やかに総括する、待望の快著」とうたわれている。

学生時代、わずかばかり文化人類学を聞きかじったものとして、柳田國男の遠野物語ぐらいは読んではいても、三角寛の名前にはまったく記憶がない。また何故に、五木寛之のコピーが意味を持つのかについても見当もつかないままこの本を手にしたのは、この著作では触れられていないが、隆慶一郎氏の初期の作品のいくつかで、たぶんに神話化、神秘化された『山窩』のイメージが思い出されたためである。

1986年に発表された、隆慶一郎氏の『吉原御免状』、その後の『影武者 徳川家康』のなかで、著者は、定住することなく、流浪するさまざまな専門芸を身に付けた集団を「道々の輩」とよび、その中の芸能集団である「傀儡子」の兄弟分に当たる、山中を徘徊する特殊な能力を身に付けた一群として「山窩」を解説しようとした。またこうした集団が、室町若しくはそれ以前にさかのぼり連綿と血脈をつなぎ、それが、天皇家への忠誠と結びつくことによって、神秘性を付与しようとしたかのようである。

沖浦和光氏による、サンカ研究は、小説家的なロマンス、もしくは好奇心を排除し、民俗学的に、ある意味では社会科学的にこの集団を把握しようとしている。サンカにまつわる、さまざまな神話を、歴史の中の事実としてとらえなおし、その起源に言及する。また、江戸末期から明治、大正、昭和と至る近代史の中での権力との交錯、被差別集団としての呼称(賎称)の背景、そして戦後における虚像の成立とその背景、集団の生活の実態を、膨大な資料と、聞き取りの経験を整理することにより、きわめて冷静に描ききっている。

結論として、サンカは、本来「山家」を原義として生活する漂白の民であり、山窩とは、権力によって、近世被差別民を賎称すべく、つけられたものである。また、その起源は、江戸時代末期、既に商品経済が主流となりつつある前資本主義経済化の下で、職業選択の余地なく、天明から天保の時代に、日々の生活に苦吟する農民が、最終的には、天保大飢饉に追い討ちをかけられ、住居を捨て、窮民として漂白の旅を山野に、川辺に、そして海辺にとさまよい出た人々が源流と推定されている。

冒頭で挙げた、五木寛之氏は、その作品、『戒厳令の夜』(1976年)、そして特に『風の王国』(1985年)で、非情且つ巨大な政府権力に対抗する、謎めいた反抗集団として描かれたサンカ組織を描いている(沖浦氏のこの著作にて初めて知り、慌てて読んで見た次第)。

それは、1965年、戦前、猟奇的なアングルでサンカの民を下世話な大衆文学に貶めた、三角寛の懺悔的な、博士論文『サンカ社会の研究』(1965年)を端として、歴史民俗学と文化人類学が、70年代に入って次第に傍系に位置する人々に学問的関心が高まり始めた事を背景にしていたようだ。

五木氏の作品の巻末に挙げた、膨大な資料の一覧は、この作者の作品に賭ける情熱を感じさせる。五木氏は、文化人類学者でも、民俗学者でもないが、この作品を完成させる上で、サンカについてかなりの研究を重ねていたのであり、その氏が「総括的快著」と賞賛する著作がこれなのである。

こうした流れの中で、隆慶一郎氏も、「山窩」に触れたのであろうことは想像に難くない。久しぶりに、感情に流されることなく、科学的であり、冷静且つ暖かいまなざしで、かつての被差別集団を描ききった作品を読むことができた。決してナナメ読みすることはできない、お勧めの著作である。

最後に、被差別民族に関心を寄せた6人の(日本の)碩学として、著者は、吉田東伍、南方熊楠、鳥居龍蔵、善田定吉、柳田國男、折口信夫を挙げ、それぞれに造詣ある評価をしている。このなかで、南方熊楠、柳田國男、折口信夫以外の3名は、初めて聞く名前であり、恥じ入ると同時に、読むべき書物が一気に増えてしまったというのが偽らざる気持ちである。