第82回 2007/8/01 |
暑中お見舞い申し上げます |
関東地方では、7月末日現在「梅雨明け宣言」が出されないままに、8月を迎えております。この7月は、まず台風4号が九州に上陸、その後太平洋岸に沿って東北に進み、とりわけ沖縄、九州地方、中部地方に被害をもたらしました。またそれにとどまらず台風の影響で梅雨前線が刺激され暴風圏外の多くの地域に大雨被害をも結果しました。その台風4号が熱帯性低気圧に変わった、7月16日には、マグニチュード6.8にも及ぶ新潟県中越沖地震が起きました。新潟県柏崎市を中心として多くの家屋が倒壊、その後の豪雨がこの被害をいっそう大きくしました。こうした災害で不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、災害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。 この中越沖地震は、柏崎市にあります刈羽原子力発電所の、決して十分とはいえなかった防災対策の脆弱性を問題として浮き彫りにさせました。幸いにして大災害とはならなかったものの、確か柏崎刈羽原子力発電所の発電量は、原子力発電所としては、世界一であると理解しています。わずか3年前の2004年10月、新潟県小千谷市を震源地とする新潟県中越地震が起きた際にも、同一県内にある巨大原発についての耐震安全性がかなり危惧されたものでした。昨今の報道によりますと、この巨大原子力発電所の万一に備えた事故対策と、市内での災害対策とが必ずしも整合性を持っては防災当事者に理解されていなかったことが明らかにされてきています。天災は防ぎようがないかもしれませんが、そうした災害が起こってしまったとき、過去の大災害を教訓として、そのような天災の被害の拡大を防ぐ様々な対策が採られてしかるべきです。今回の刈羽原発の原発側の手際の悪さだけが問題なのではなく、3年前の同じような災害をどのように教訓化し、どのような対策を採ってきたのかが問題なのだと思われます。この視点からは何の報道もありませんが、2004年の中越地震をなんら教訓化していないとすると、これは深刻な不手際だと思えてなりません。 さて今回の国政選挙(参議院)は、大手新聞の事前の予測以上に、政府与党側の大敗北となりました。ここでその原因を論ずるつもりはありませんが、上に述べた新潟沖中越地震の直後に政府の最高責任者、内閣総理大臣が被災地に慰問に訪れたことだけを挙げます。選挙戦であるなしに関わらず、国家は存在しています。国家の最高為政責任者は、国家的災害に対して常に冷静に判断を下し、方向性を結論付ける役割を担っています。大地震の後には、余震が続くことは地震国に住むわたしたちの常識です。未だ余震の危険性、もしくはより大きな地震の危険性のある地域に、国家の最高責任者が直ちに出向くことは、被災者へ一刻も早い慰問の気持ちを伝えたいという「善意」を素直に伝えることにはならないし、ならなかったのではないでしょうか。 いよいよ夏盛りの8月です。夏を歌った昔懐かしい唱歌といえば、だいぶ以前にご紹介した「われは海の子」の他に、「夏は来(き)ぬ」があります。万葉集の研究家でもあった国文学者・佐佐木信綱作詞、わが国音楽教育の母ともいわれた小山作之助作曲で、教育唱歌として1896年(明治29年)に発表されたものです。歌詞をあらためてご紹介しましょう。
卯の花とは、ウツギの花のことですが、意外と知らない方もいらっしゃるようです。下がウツギの花の写真です。「卯の花のにおう」とは、ウツギの花の匂いという以上に、万葉的な意味で、鮮やかな色が美しく映える状態を歌ったと考えるべきでしょう。 また2番の「早乙女」は、もともと「賎(しず)の女(め)(下賎な女性)」であったものを唱歌という性格上、「早乙女」に直したというエピソードがあるようです。4番の楝(おうち)とは、落葉高木のセンダンのことと思われます。 1番から4番までにでてくる植物は、ウツギ、稲、橘、センダン。動物は、ホトトギス、クイナにホタル。今日ではかなり奥まった農村地でも出会うことのない風物が、明治のこの時代には普通の景観だったように想起されます。また、5番の歌詞で、それまでの登場人物(風物)すべてを網羅しようとしたあたりがほほえましいところです。歌詞全体を通してみますと、夏の暑い風物詩を、何か涼しげに感じさせる構成になっているところにこの夏の歌のよさがあるように感じられます。「夏は来ぬ」で検索されれば、かなりのサイトでこの曲を簡単に聞くことができます。 何はともあれ暑中お見舞い申し上げます。異常な天候の続いてきた2007年ですが、急激な温度の変化や、集中豪雨を目の当たりにしますと、やはり夏は暑いのが好ましく思われる昨今です。皆様、たまには昔の唱歌でも思い出されながら、お元気でお過ごしください。 |