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第41回 2004/3/01

事務所を移転して1ヶ月がたちました。電話システムを新たにIP電話に切り替えようとしたため、思わぬ工事で手間取り、最初の1週間には一部のユーザー様やディーラー様には、きちんと接続が確保できない日もあり、大変ご迷惑をおかけいたしました。この場を借りてお詫び申し上げます。おかげさまで、やっと通信関係の整備も整ってきました。

今日から弥生3月ですが、2月中には一部の地域では観測史上、2月では最高となる高温を記録した日もあったほどの、異常な気象状況でした。他方で北海道、東北以外では連日雪の天気予報で、まったくアンバランスな日本列島の空模様です。

さてこの2月中旬、国際芸術連盟の主催する、「冬のロマンス」と題する、コンサートにでかけました。京王新線、初台駅に接続したオペラシティのリサイタルホールでの開催でした。中田早苗さんを中心としたフルート奏者の演奏、塩谷靖子さんのソプラノ独唱、そして井上照喜さんのピアノソロがその概要でした。あまり有名ではない奏者や、歌手のクラシックコンサートは、まだまだ多くの聴衆を惹きつけるところまで行かないのが日本の現状ですが、今回は通常と比べればかなり多くの方が参加されたのではないでしょうか。シュタインウェイのピアノが伸びやかに響く、音響効果のよい会場でもありました。

さてその中で、塩谷靖子さんが、ソロの最初に歌いました「早春賦」についてちょっと触れてみましょう。学校唱歌として、多くの方に口ずさまれるこの歌は、 「春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず」 と始まります。大正のごく初期に、東京音楽学校(現東京芸大)の教授、吉丸一昌氏が信濃、安曇野の、穂高側のほとりで作詞したものに、同校の後輩で後に教授となった中田章氏が曲をつけて出来上がったものとされています。北アルプスのふもとで、厳しい冬の終わりに、いまや遅しと春を待つ人々の心情が唄いこまれています。

この吉丸一昌氏は、大分県臼杵市の出身。私の母校でもあります大分上野ヶ丘高校(当時は、大分尋常中学校)卒業後、夏目漱石も教師の一人であった熊本五高を経て、東京帝国大学(現東京大学)国文学科に進みます。その後、東京音楽学校(現東京芸術大学)教授に迎えられています。その関係で、地元大分県では、県庁所在地の大分市だけでなく、臼杵市においてもこの「早春賦」が馴染み深いものとされています。また、作詞作業のオリジナル、穂高町には「早春賦歌碑」が建てられ、毎年みどりの日(4月29日)歌碑のまえで音楽祭が催されているようです。吉丸氏の興味深い経歴は、次のURLに詳しく述べられています。
http://www.coara.or.jp/~myks4/minoru/yosimaru.html

作曲家の中田章氏は、45歳という短命で逝去されたためか、この早春賦以外に著名な作品は残されていないようですが、かの中田喜直氏(「夏の思い出」「雪の降る町を」「めだかの学校」等の作曲家)のお父さんにあたります。

埼玉県では、早2月中旬にはウグイスが鳴き始めました。穂高町やそれよりも北の地方では、この早春賦のとおりまだ春は遠く感じられていることでしょう。学校唱歌とされる数々の曲目の中には、日本の忘れざるべき名曲が多く含まれているように感じられます。自分が好きだと思われる曲の背景を調べてみることも、その曲を聴く時の姿勢に大いに影響を与え、まるっきり新しい曲を聴くような思いさえさせてくれるかもしれません