第134回 2011/12/07 |
「2011年師走を迎えて」 |
2011年も、はや師走を迎えました。町並みの街路樹も、郊外の落葉樹もやっと緑の葉が黄色や赤に染まり、色付き舞い散る落ち葉が曇り空の風景に色彩を与えるようになりました。とりわけ、街路樹としてよく植えられているイチョウの黄色く変った葉が、夕日を背景に赤く染まったり、木枯しに乱舞する有様がひときわ目を引きます。 イチョウは、漢字で銀杏や公孫樹(祖父=公の植えた苗木が孫の代で実がなるの意)と表記される雌雄異株で、中国原産の裸子植物(日本に持ち込まれたのは平安時代から鎌倉時代までの間とされている)。公害を含む環境変化や、大胆な剪定に強いことから東京などの大都市でも街路樹として広く用いられています。この裸子植物イチョウに精子があることを世界で最初に発見したのは、日本人植物学者、平瀬作五郎であることは有名です (1896年=明治29年。今も平瀬作五郎が精子を発見したイチョウは、小石川植物園 《東京大学大学院理学系研究科付属植物園》 に残っています。付記しますと、精子が発見されたのは、雄株ではなく雌株からです。イチョウの雄株から出された花粉が、雌株の胚珠に取り込まれた後、数か月を経て胚珠のなかで数個の精子が作られるのです)。その後、平瀬の師、池田成一郎が、裸子植物ソテツからも精子を発見、この両者の研究が当時の世界植物学会に与えた影響はかなりの大きさだったようです。 「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎も、この平瀬作五郎も、植物学の研究は東京帝国大学(現東京大学)理学部植物学教室で行い、世界的な成果を上げたといえますが、ともに帝大の学生であったことはありません(牧野富太郎は小学校を中退、以降公的な学校教育は受けていない。また福井藩中学校卒業の平瀬作五郎は、画業をもとに植物学教室に画工として勤務していた)。明治の学研世界では、世界に追い付けという学問的な情熱が、官僚的な規制をものともしなかった、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いた、明治社会の上昇気流の熱気を感じさせます。 こうした植物研究の歴史を背景に持つ日本ですが、昨今の植物行政のありようには、首をかしげる政策が散見されるのは悲しいことです。緑のOOO、もしくはグリーンOOOと銘打った政策が各行政組織から宣伝されます。たとえば、東京都は、「街路樹の倍増」や「校庭の芝生化」などを目的として、「緑の東京募金」を募っています。埼玉県では、みどり再生課のもとで「一人一本植樹運動」を提唱しています。植物を都市部に植え、緑あふれる街の再生を目指しているようです。かつて毛沢東統治下の中国で、毛沢東が視察に回る周辺には、痩せて枯れた田圃に実をたわわにした稲を植え、あたかも農作物は豊かに実り、政策が順調に進められていると見事に偽装したレベルよりは、少しはましですが、それほど大きな違いがあるとは思えないのです。 植物生態学上では、潜在自然植生という概念があります。ある一定の場所の気候を含む立地条件が、ヒトの介在を抜きにした場合の植物の適合しうる生態(もともとの植生)のことです。ドイツのラインホルト・チュクセンが1950年代に提唱した学説です。この学説に基づき、以前にもご紹介した宮脇昭は、日本全土の植生地図を完成し、世界の各地で実践し、かなりの成功を収めています。行政体が、自然環境保護を名目として、植物について政策を決めるためには、植物学的な明確な戦略的な方針が必要です。緑に見えれば何の植物でもよい、公害に強ければより管理が安易であるという発想にしか思えないのが、現在の街路脇や、高速道路のセンター部分に植えられたさまざまな植物種です。 わが国は、外来生物法によって、本来の生態系を乱す要因のある動植物種を指定して、その排除に努めるよう制定しています。その基本は、それぞれの土地、地域にもともと生態系として存在してきた動植物の今後の生存を脅かす外来種を駆除し、将来的に渡ってもともとの生存を確保しようとするものと思われます。しかしその姿勢が、実際に地方行政体が植林作業に取り掛かった瞬間に一貫性を見せていないのはどうしたわけでしょうか。明治以降、世界に先駆けた植物学の累積された知性はいつの間にか消し飛んだかのごときです。 以前私が住んでいたさいたま市には、多くのハナミズキが街路樹として植えられていました。また東京都の現在の植樹募金の対象種にもこのハナミズキが挙がっています。ハナミズキ(ミズキ科ミズキ属、アメリカヤマボウシの別名)は、1915年に、当時の東京市長だった尾崎行雄が米国に贈答したソメイヨシノの返礼として、アメリカから贈られた典型的な外来種。外来種排除の国の方針の一方で、地方が積極的に外来種を植樹するのは、全くの矛盾としか思えません。高速道路の中央分離帯に植えられるロビンフッド、などなど。数え上げればきりがありません。 本来の森が、現在も残っているのは、宮脇見解では0.06%といわれています。潜在植物生への回帰は、もはや不可能だと思われます。しかしそこへ向かって努力をする知性を現代人はまだ持ち合わせていると思いたいのです。自然環境の保護、生物多様性の確保については、様々な意見があり、アプローチの方法があります。その是々非々は多いに論じられるべきです。しかし、少なくとも人為的な破壊が、行政の指導で緑の名前でなされるのは、まさに驚異であり、脅威です。 2011年は、3月の東日本大災害で自然の脅威にさらされ、併発した福島原子力発電所の爆発で人為的な災害が重なりあいました。世界は、環境保護に誰も反論しません。このような時にこそ、安易な「環境保護政策」に厳しい目を向ける必要性を感じます。 皆様方が、健康な年末と、新しい門出の年始を迎えられることをお祈り申し上げます。
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