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第06回 2001/3/31

いつも、お読みいただきありがとうございます。皆様からのご質問で、多いのは「CECの製品作りについて、どんなポリシーで作られているのか、ベルトドライブでCDプレーヤーを作るという発想は、どこから生まれたのか等、もっと良く知りたい」というものです。そこで何回かに分けて、CECの製品作りの基本的な姿勢や、ベルトドライブCDの開発秘話について述べてみたいと思います。

再生音楽に対するCECの基本的なスタンス

一般に、再生音楽に対して、従来ですと「原音再生」ということが「重要な要素」としてうたわれ、当社でも1970年代、広告・宣伝のキャッチフレーズの一部に使用したことを覚えております。ここでいう「原音」とは、おそらく劇場、もしくは音楽ホールといった演奏の現場において、実際に歌手を含めた演奏者を目の前にし、聞こえてくる音楽のことを指しているものと思われます。その「原音」に、再生音楽がいかに近づいているのかをもって、再生装置の良し悪しの判断基準としようとする考えがあります。ここではそれを「原音再生派」とでも名づけておきましょう。

他方で、ここ数年、再生音楽は、「原音」の忠実な再生である必要はむしろなく(場合によってはそれを諦めることも含めて)、聴く主体が心地よいように再生機器をアレンジする、もしくはそうならざるをえないものであり、「原音」とは独立した「再生音楽自体の芸術性」を問うべきであるという考えが、次第に広がっているようにも思われます。

菅野沖彦氏の語る「レコード演奏家論」も15年間の氏のオーディオファイル訪問の後、聴く主体の個性を含めた人間性が、如実に表現されている現実に、こうした考えを展開されているように理解されます。

前者の立場にたつとき、私どもメーカー側としては、何をもって理想の「原音」とするかが厳しく問われなければなりません。また、後者の立場に立ちますと、試聴評論される側としては、試聴する方の「個性」「人間性」によって評価はまったく変わってしまいますので、雑誌社の「試聴会」では、常に採点者の「人間性」の良さを祈るしかありません。

私は、音楽を聴かれるかたには、それなりの「基準」があるように思われます。それを「原音」と呼ぶかどうかは別問題として。また、物を作るわれわれとしては、「基準」なしで作ることはできません。その基準とは、すべての音楽分野における、曲目それぞれの理想の聴こえ方であろうと思われます。

例えば、ベートーベンの第9を、これまでどれくらい多くの指揮者が、どれくらい多くの演奏会場で演奏されてきたことでしょう。例えば、ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて1983年にベルリンで演奏しました。これが、第9の「基準」であるのかどうか、これが問題です。残念ながら、この交響曲が1824年に作曲が完成されて以来のすべての演奏を聴いた人は、存在しえません。

この176年間に数多くの指揮者があまたの演奏グループを率いて、さまざまな場所、環境で演奏してきたに違いありません。だれかが、どの演奏グループと、どこで、いつ演奏した第9が「標準」だと言い切ることが必要です(一般にカラヤンの評価はイタリアではあまり高いとはいえないようです)。特に原音再生派の方にとっては。これは、経験によって大いに変化します。経験が、「人間性」に変化をもたらし、最新の状態で、必ず「標準」というものがあるはずです。

しかしながら、音楽評論家や、オーディオ評論家の先生方にはそのようなことはありえないとしても、一般のリスナーの方の中には、一度も演奏会場を訪れたことのない方もいるかもしれませんし、全ての聞きたい音楽を演奏会場で聴く機会のない方のほうが多いかもしれません。また、再生音楽自体でも、この「原音」を超え、あらたに「標準」となることさえ可能です。

当社が「原音再生」を宣伝文句に使って以来、30年が経過し、再生音楽も大きく環境が変化してきました。特に近年、電気楽器を駆使し、かなりの音量で演奏され、聞く側もかなりのテンションと喧騒の中で聞く場合も多々ありえます。

また、楽器では出ない音をコンピューターによって作り出し、それをミキシングして編集したり、ミキサーの思惑によって、録音時の原テープに作為的な加工がなされる(録音自体も含めて)ことも多くなりました。また、かなり以前の原テープと最新の録音をミキシングすることも今では可能になりました。演奏会場で演奏されることのない音楽の場合はもちろん、演奏会場で聴くよりも、かなりの水準を確保した再生装置を介した再生音楽それ自体の方が、音楽としてかなり高度となっているという意味で、新しい「標準」とならざるをえません。

こうした場合の「標準」は、基本的な録音状態を満足していると認識される音楽再生用ソフトそれ自体とならざるを得ません。例えば先にあげたカラヤンの振るベルリンフィルは、ドイツグラムフォンからCD(FOOG27001)として発売されていますが、それを標準ソフトとして、そうした標準ソフトがどのように聴こえることがよいのかが私どもメーカーには問われます。メーカーとして私どもは「レコード芸術家」にはなりえませんし、従来の意味での「原音再生派」に属することもいまや不可能です。

従って私どものモノ作りの基準は、一定以上の録音レベルにある再生ソフトに対して「音楽を聴く場所の臨場感がどれだけ自然に伝わってくるのか」にあるものと理解したいと思っております。よりいえば、作曲家もしくはコンダクターがリスナーにどのように聴こえてほしいかという作る側の意図が、自然に聞く側に伝わるような再生器具をつくることをモットーとしたいのです。

次回以降、CECのレコードプレーヤー、CDトランスポート、DACを順次上げながら、私どもの具体的、かつ現実的な努力の内側をご紹介いたします。