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第058回 2007/09/07
「世紀のデュオ」フォンテインとヌレエフによる「白鳥の湖」

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独ユナイテル 004400734044 DVD
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー:バレエ『白鳥の湖』

マーゴ・フォンテイン(オデット/オディール)
ルドルフ・ヌレエフ(ジーグフリート)
ジョン・ランチベリー(指揮)
ウイーン交響楽団ウイーン国立歌劇場バレエ団

(録音・録画 1966年)

 

 

 


 例えばアメリカ最大の都市ニューヨーク。ここに住む芸術愛好者たちにとって、寒い冬はオペラ、暑い夏はバレエにというのが、何時の頃からか(といっても20世紀後半であろうが)大方の相場になっているようだ。
 ということで、今年(2007)のように例年以上に連日ジリジリするような暑さ続きの中では、バレエを見て、スカーっと暑気払いというのも大いに結構なことではなかろうか。
 バレエといえば、先ず何といっても代表作は「白鳥の湖」ということになる。
「眠れる森の美女」や「くるみ割り人形」とともにチャイコフスキーの作った三大バレエの一つではあるが、彼にとっては初めてのバレエ曲であり、現在では古今のクラシック・バレエ中の最高傑作とされているし、しかも圧倒的な超人気作品でもある。
 チャイコフスキーが、1875年にモスクワ・ボルショイ劇場からこのバレエ曲の作曲要請を受けたとき、友人リムスキー=コルサコフにも手紙で書いている通り、彼にしては珍しく大いにやる気十分で作曲を引き受けている。一つには、彼がしばしば訪れたウクライナの妹夫婦宅の可愛い姪たちのために3年前に書いてやった習作「白鳥の湖」が既に存在していたからでもあるが、自身、19世紀前半にフランスで流行したロマンティック・バレエの代表曲、アダンの「ジゼル」を研究したりして、バレエ曲には少なからず興味をもっていた。
 バレエ曲「白鳥の湖」は、こうして1876年に完成されたが、彼にとってかなりの自信作でもあった。
 しかしながら翌77年、ボルショイ劇場での初演は、無惨な失敗に終わる。その理由も、必ずしも曲自体が悪かったからではなく、振付とか舞台装置、中でもプリマの不出来によるものだったと言われている。理由はともあれ、やがてこの名曲も上演されることなく暫し忘れ去られてしまう。
 運の巡り合わせというべきか、何故かチャイコフスキーの場合、この曲以外にも、今では人気のある名曲、例えばヴァイオリン協奏曲とか「悲愴」交響曲など、初演の失敗例が多い。
 バレエとか、オペラの場合は、曲以外の要素、例えば演出や振付とかプリマや主演級の出来不出来などに影響される場合も多い。信じられないことだが、オペラでも、ビゼーの「カルメン」、プッチーニの「蝶々夫人」の如く 今や圧倒的な人気作品でも初演は頗る不評だった。
 しかしチャイコフスキーの死後、ロシア・クラシック・バレエの完成者でもある名振付師マリウス・プティパ、彼の弟子レフ・イワノフ、および作曲家ドリゴが再度、この作品を徹底的に検討の上、曲を編成し直し、振付を大幅に変更して、1895年、今度はペテルブルグのマリンスキー劇場に舞台を移して再上演を行い、大成功を収めた。以降、クラシック・バレエの代名詞となり、歌舞伎でいえば、「忠臣蔵」にも匹敵するような上演すれば必ずヒットする超人気バレエ曲となったのである。

 ストーリーは、ドイツの童話に基づくものと云われる。第1幕、第1場、某国の王子ジーグフリートの成人式の前夜祭の場。その席で王妃は、王子に翌日の舞踏会で花嫁を選ぶように命令する。第2場、湖畔の場面。独り森に出かけた王子は、湖畔で悪魔によって白鳥に変えられているオデット姫と出会って相思相愛となるが、王子の純愛のみよって魔法が解け姫が人間に戻れることを知る。2人は再会を約束して別れる。第2幕、成人式の舞踏会の場。次々に花嫁候補が現れるが、やがてロットバルト公爵(実は悪魔の変装)が到着。傍らには、オデットそっくりの黒鳥の姿をしたオディールを連れている。(通常このオディールとオデットは同じプリマが踊ることになっている)あまりに瓜二つであり、王子は思わず婚約してしまう。そのとき雷鳴が起こって悪魔とオディールは去っていく。
 第3幕、再び湖畔の場。白鳥たちは王子の心変わりを悲しんでいる。そこへ王子がオデットを探しながら現れる。王子は唯ひたすら謝り、オデットは許し2人は再び愛を誓い合う。そこに突然悪魔が現れ2人を裂こうとする。実は、ここからの結末には幾つかのヴァージョンがある。
 オデットが湖に身を投げ、王子が後を追って2人は来世で結ばれ、2人の愛の力で悪魔が滅びるとうロマンティックな結末。王子が悪魔と闘ってやっつけてしまい晴れて2人は一緒になるというハッピーエンド。逆に王子が死んで、オデットが再び白鳥に戻るという悲しい結末もある。
 何故、こんなに幾つものヴァージョンがあるのか。一つは当然作曲者自身による1977年の原典版、そして1895年に蘇演され大成功を収めたプティパ=イワノフ版のほかに、実はこの作品、それ以降にも、ゴルスキー版、セルゲエフ版、ブルメイステル版、ヌレエフ版など数多くのヴァージョンが生まれ、各々の版にもとづいて各バレエ団が独自の演出・振付で上演されてきたのである。ある意味では、そうしたファンの好みに応じた多様化こそがこのバレエを一層人気のあるものしたとも云えそうだ。
 中でも画期的なヴァージョンは、1953年、モスクワで初演されたブルメイステル版である。原典版の意図を忠実に再現することを目的とし、更にはストーリーにも論理的一貫性をもたせるため、新たにプロローグを設けて、何故オデットが白鳥になったかの説明があり、最後のエピローグでは姫が白鳥から人間に戻って終幕となる。

 また オデット/オディールを演じるプリマ役もアンナ・パブロヴァ以降、幾多の名プリマを輩出したが、こうした名演の中、今回取り上げたのは「世紀のデュオ」または「奇跡のコンビ」として、1960年代世界的にバレエ・ブームを巻き起こしたマーゴ・フォンテインとヌレエフによるDVD盤である。1961年に、ロシア、キーロフ・バレエの大スターだったルドルフ・ヌレエフが西欧へと亡命。彼はフォンテインとパートナーシップを組んで10年以上にわたり英国のロイヤル・バレエで活躍したが、この「白鳥の湖」もその貴重な成果の一つだった。当然のことながら、振付は、ヌレエフ自身によるものであり、台本もヌレエフ版が使用されている。
 マーゴ・フォンテイン(1919‐91)。サドラーズ・ウエルズ・バレエ・スクール(後のロイヤル・バレエ・スクール)に学ぶ。ここの学校長であり後のロイヤル・バレエ芸術監督ニネット・バロワから徹底的に仕込まれる。34年、舞台デビュー、翌35年以降、英ロイヤル・バレエのプリマ・バレリーナとして君臨。54年以降はロイヤル・バレエ・スクール院長、56年、プリマとして最初のデイムの称号を受ける。60年代に入って引退説もあったが、61年、亡命したヌレエフとデュオを組み、10年以上現役を続ける。その後は、パナマの外交官だった夫ロベルト・アリアスが政界進出のため遊説中、狙撃され半身不随となったため、最後まで夫を看取りつつ、自身も91年、パナマでがんにより他界した。
 片やルドルフ・ヌレエフ(1938‐93)。「ニジンスキーの再来」といわれたレニングラード、キーロフ・バレエ(現マリンスキー・バレエ)の花形ダンサー。61年西側に亡命後、70年代まで英ロイヤル・バレエのゲスト・ダンサーとしてフォンテインの相手役を務める。80年代、パリのオペラ座芸術監督に就任し、ここを拠点にギエム、ジュド、ルグリなどを発掘・育成するが、93年、エイズで死去。20世紀後半を代表する最高の男性ダンサーと云われた。
 このDVDにおいてこの2人を支えるのは、オーストリア最高のウィーン国立歌劇場バレエ団。演奏はジョン・ランチベリー指揮によるウィーン交響楽団による。
 ランチベリーは、1923年生まれ。英国のバレエ音楽のスペシャリストで、60年以降、ロイヤル・バレエの首席指揮者として、この「世紀のデュオ」をサポートした。

 ジャケットは、フォンテインとヌレエフ演じるオデットと王子ジークフリートによる第1幕第2場の有名なグラン・ダダージュからの一場面。このDVD最大の見所でもある。