最近、久し振りにラジオを聴いていたら、偶々対談番組のゲスト役が雅楽師の東儀秀樹氏で、話の内容が面白く最後まで拝聴した。同氏は、元々千年以上も続く雅楽の家系の生まれであるが、父君の仕事の関係で幼少期を海外で過ごし、海外子女として帰国。宮内庁楽部で正式に雅楽を学び直し、10年ほど宮内庁の楽士として活躍の後、現在はフリーの雅楽師の立場で、演奏や作曲など幅広い活動をしておられるという。早速、同氏が出された幾つかのCDやエッセイ集などに当たってみた。
東儀氏によれば、雅楽は、根底となる音楽理論が千年以上も前に明確に確立しており、今でもこの理論に厳密に基づいてオーケストレーションが組まれる。現在に至るまで全く、といってよいほど変化していないという点では現存する世界最古の体系化された音楽ではないかといわれる。例えば同じように中世に完成されたに拘らず、幾多の変遷の末、現在では原初の形態を推測することが非常に難しくなっている西欧のグレゴリオ聖歌と比べてみると驚くべきことであり、我々日本人もこの雅楽という長い伝統ある音楽をもっともっと誇りに思って然るべきではなかろうか。
起源は、飛鳥奈良時代に、中国や朝鮮から渡来した音楽や舞踊がそれまでの日本古来の歌舞と融合し定着したものであるが、現在我々が観たり聴いたりしている雅楽が明確な形で成立したのは、平安時代、9世紀以降の雅楽の大改革と呼ばれた「楽制改革」の頃以降らしい。
やがて武士の時代、鎌倉期に入ると最大のスポンサーだった宮廷勢力の衰退により、苦難の時を迎えるが、室町時代を経て応仁の乱に至って最悪の事態となる。
しかし織豊時代を経て徳川幕府の支配する江戸時代に入ると、幕府の援助もあり、その庇護のもとで少しづつ回復し、幕末から明治以降になると、かなり縮小された形にせよ、雅楽は宮内庁の組織に組み入れられ少しづつ整備されてきた。
以下 明治以降の雅楽関連の概略を列記してみたい。
昭和 |
11年(1936) 楽部庁舎落成 |
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30年(1955) 宮内庁楽部 重要無形文化財に指定 |
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34年(1959) 宮内庁楽部アメリカ公演(5月20日〜7月5日) |
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41年(1966) 11月 国立劇場落成記念 |
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45年(1970) ヨーロッパ公演(5月19日〜6月25日) |
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45年(1970) 10月31日 黛敏郎「昭和天平楽」国立劇場で初演 |
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48年(1973) 10月30日 武満徹 「秋庭歌」国立劇場で初演 |
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51年(1976) 第2回ヨーロッパ公演(9月25日〜11月1日) |
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52年(1977) シュトックハウゼン 舞楽「ヒカリ」初演 |
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58年(1983) ジャン・クロード・エロア「観想の焔の方へ」初演 |
即ち、宮内庁楽部が中心となって、日頃の教育やリハーサル、楽器や楽譜の整備、宮中儀式や公演、さらには海外公演や内外の一流作曲家に対する委嘱など含め、着実に維持・発展が図られているようである。
ともかく、この千年以上にわたる長い間、その維持・保存のため、関係者の血の滲むような努力の結果、現在、我々が見たり聴いたりできる雅楽の姿がある訳で、その事実だけでも唯々驚いてしまう。
ここでは、教科書などにも紹介され、ほとんどの人が耳にしたことがある超ポピュラーな雅楽の名曲「越天楽」について考えてみたい。
雅楽には、演奏形式から器楽のみの合奏「管弦」、器楽に舞を伴う「舞楽」、歌を伴う「歌物(うたいもの)」(「催馬楽(さいばら)」、「朗詠(ろうえい)」など)に分けられ、さらに伝来系統により中国から直接渡来した「唐楽(とうがく)」、朝鮮半島経由の「高麗楽(こまがく)」、日本古来から歌い継がれた「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」(「神楽歌」「東遊(あずまあそび)」など)に区別される。
「越天楽」は、「唐楽」に属し、舞のつかない合奏「管弦」の一種である。
また通常は単に「越天楽」と呼んでいるが、我々が普段聴いているのは、ほとんどの場合「平調(ひょうじょう)・越天楽」と呼ばれる曲であり、実はこの平調のほかに、調子の異なる黄鐘調(おうしきちょう)や盤渉調(ばんしきちょう)による「越天楽」も現在残されている。昔はもっと「越天楽」の調子の種類も多かったようである。雅楽では、これを「渡物(わたしもの)」といって、曲の長さや形式はそのままだが、メロディのみを雅楽独特の動かし方で移調してしまうやり方があった。例えば、「平調・越天楽」は、昔からお目出たい席で演奏される曲だったが、「盤渉調・越天楽」は、まったく違った雰囲気で、専ら葬式用として演奏され、大変に物悲しい感じがするという。
最近は、雅楽に関する優れたCD(例えば「雅楽〜舞楽の世界」コロムビアCOCF10888/9など)もかなり出ているが、ここではLP時代、優れた教材用として知られたアルバム「日本の楽器」で聴いてみたい。
「管弦」である「越天楽」の場合、弦楽器では、楽箏(がくそう)と楽琵琶(がくびわ)、管楽器は竜笛(りゅうてき)、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、打楽器は楽太鼓(がくたいこ)、鉦鼓(しょうこ)、羯鼓(かっこ)が使用される。
このレコードでは、これらすべての楽器が、夫々「越天楽」のメロディもしくはリズムで奏される。個々の楽器に関する霧島素子氏による懇切丁寧な解説があり、歴史、機能、用例とともに、楽器単体および演奏中の写真もあるので、それだけでもある程度理解は出来るが、やはり「百聞は一聴にしかず」、たっぷりと1コーラスづつを演奏してくれるので、より分り易い。
最後に、雅楽の演奏例として「平調・越天楽」が雅楽紫紘会(現在の東京楽所)によって全楽器で演奏されるが、この録音には「残り楽(のこりがく)」がついている。「越天楽」の演奏後、まず打楽器が演奏を止め、琵琶と箏の弦楽器と管楽器が残って演奏を続けるが、やがて笙、竜笛、篳篥、琵琶の順番で抜けていき、最後は箏だけが残って演奏する。ハイドンの有名な交響曲第45番「告別」(俗称「サヨナラ・シンフォニー」)を連想させるが、この「残り楽」の場合は、わざわざ箏の演奏を単独に聴かせるために付け加えられたとも言われる。
東儀氏にとっては、あまり有り難くないかもしれないが、この雅楽、「越天楽」に限らず、まずは今流行の「癒し系音楽」「ヒーリング・ミュージック」として聴いてみるのも一興であろう。流石に千年の歴史と伝統を誇る音楽だけのことはあり、知らず知らずのうちに、その魅力の虜になること請け合いである。
「源氏物語」や「枕草子」には、雅楽に関する記載が少なからずあるが、この雅やかな響きは、紫式部や清少納言が聴いた平安王朝文学の世界へと誘(いざな)い、間違いなく、我々を、たゆたう、ゆったりとした豪華な気分にさせてくれるはずである。これこそ、究極の「癒し系音楽」ではなかろうか。
ジャケット中央の大きな赤い日の丸は火焔に縁取られた楽太鼓をイメージさせるデザインだが、題字は鎌倉円覚寺管長だった故朝比奈宗源師による見事なもの。デザインは、サン・デザイン研究所。 |