戦後日本音楽界の重鎮、というより重機関車として純音楽や映画音楽の分野で先頭になって日本を引っ張ってこられた伊福部昭氏が今年(2006年)2月8日、91歳で亡くなられた。昨年の春先だったか、東京文化会館での混合アマチュア・オーケストラから成る200名を超える大編成による同氏の吹奏楽作品「和太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク」(1972)の勇猛果敢な演奏後、偶々聴衆席に居られた同氏に対し、全演奏者を含めて沸き上ったスタンディング・オーベイションに元気良く答えておられ、未だ怪物ゴジラ健在なりと我々を大いに安心させたものだが、その後、急速に体調が悪化されたのであろうか。
伊福部昭。1914年、北海道・釧路生まれ。代々、因幡国(鳥取県)に永く続いた神官名家の出だったが、9歳のとき、警察官吏の父が村長となった開拓村、十勝音更村に移り住む。ここで、アイヌの伝統芸能に直に接したことが、その後の伊福部音楽の原点となった。札幌第二中学から北海道帝国大学(現北海道大学)へ。この間にほぼ独学で音楽をマスターし、33年、19歳のとき、処女作「ピアノ組曲」を発表。(この作品は38年ヴェネツイア国際現代音楽祭で入選し、91年、オーケストラ化して「日本組曲」として生まれ変わる)
同時期に、早坂文雄らとともに「新音楽連盟」を結成。北大卒業後の1935年から46年までは林務官として多忙な中、35年「日本狂詩曲」(パリのチェレプニン賞1位)、36年「土俗的3連画」、43年「交響詩譚」(毎日コンクール入選、文部大臣賞受賞)と、いずれも民族色溢れるエネルギッシュな力作が発表される。
やがて終戦を迎えるが、46年、親友早坂や芸大学長、小宮豊隆のすすめで上京。「ヴァイオリンと管弦楽のための狂詩曲」(51年、ジェノヴァ国際コンクール入選)「タプカーラ交響曲」(55年)など相次ぎ問題作を発表する一方、46年以降は芸大音楽部、74年からは東京音楽大学で教鞭をとり、その門下からは芥川也寸志、黛敏郎、矢代秋雄、三木稔、松村禎三、石井真木など、その後の日本音楽界を代表する錚々たる作曲家が育った。
また、名著として知られる「管弦楽法(上下2巻)」や「音楽入門」などの著作あり。と、この辺りまでは、追悼特集に繰り返し述べられているので詳述は避けたいが、同氏を語る上で絶対に無視できないのが、生涯に230余の映画作品に作曲し続けた映画音楽の分野であろう。
伊福部映画音楽といえば、真っ先に出てくるのが、「怪獣ゴジラ」シリーズやSFシリーズを中心とする特撮ものであるが、このジャンル以外にも典型的娯楽映画の系譜として、「柳生武芸帳」「暗黒街」「座頭市」「眠狂四郎」などのシリーズや、いわゆる文芸ものと呼ばれた「自由学校」「偽れる盛装」「源氏物語」(何れも1951年)、「西陣の姉妹」「明治一代女」(何れも52)、「夜明け前」「千羽鶴」(53)、「春琴物語」「足摺岬」(何れも54)、「女中っ子」(55)、「ビルマの竪琴」(56)、「憎いもの」(57)、「氷壁」(58)、「コタンの口笛」(59)、「婦系図」(63)、「お吟さま」(78)など。
また、主に近代映協などの独立プロによる社会派問題作「原爆の子」(52)、「混血児」「蟹工船」「女の一生」「縮図」「村八分」(何れも53)、「どぶ」(54)、「真昼の暗黒」(56)、「帝銀事件 死刑囚」(64)、「サンダカン8番娼館 望郷」(74)などなど。
さらに、「日本誕生」(59)、「親鸞」(60)、「宮本武蔵」「釈迦」(61)、「秦始皇帝」「忠臣蔵 花の巻、雪の巻」(何れも62)、「徳川家康」(65)などの宗教作品を含む超大作シリーズ。
そして、忘れてはならない分野が、岩波映画「佐久間ダム」3部作(57)、や「遭難―谷川岳の記録」(58)などの記録映画と子供向けアニメ作品「わんぱく王子の大蛇退治」(63)、藤城清治の影絵劇「せむしの子馬」などであろう。
これら膨大な作品群の原点が、敗戦後間もない1947年製作の、監督谷口千吉、脚本 黒沢明と組んで同氏にとっては映画音楽第1号となった「銀嶺の果て」だった。この映画の有名なスキー・シーンで、氏と谷口と黒沢両氏の意見が真っ向から激突する。谷口、黒沢両氏が甘いワルツを要望したのに対し、氏は、あくまでコール・アングレのソロと風の擬音のみで、滑降する2人のほのかな愛情を表現すべきだと主張して譲らなかった。その後、文芸映画系と社会派ドラマが続くが、やはり伊福部映画音楽の真骨頂は、1954年に封切られた怪獣映画「ゴジラ」以降の特撮路線ということになろう。
氏は、この100パーセント・フィクションである特撮ものに対しては、従来の劇映画と手法をがらりと変えてしまった。たとえば、ライト・モティーフによる怪獣の特定化、無調やトーン・クラスターの多用、怪獣の鳴き声や動きを表現するために電子音楽を初め、テープの逆回転など、あらゆる可能な音響効果を試みている。当然のことながら、作曲以降の録音再生技術にも注目された。要は、想像上の怪獣をリアルな存在とするため自己のイマジネーションの飛翔の限りを尽くし、あらゆる可能性を駆使された。その意味で、伊福部映画音楽の場合、通常の劇映画と特撮映画は区別しなければならない。
また、氏は映画音楽における有名な「4つの効用原則」を主張しておられる。以下、略記すると、
1.その特定された時代や場所を示す。
2.ドラマの表現したい感情をより「強調」する。
これには 悲しい場面に悲しい音楽を流す「インタープンクト」と、逆に反悲劇的音楽により悲しみを強調する「カウンタープンクト」の手法がある。
3.ドラマが途切れないようシークエンスを維持する。
いくつかの連続するシーンの上に1つの曲を流すことにより、一連のシークエンスであることを示す。
4.映画モンタージュに対して補足効果を加える。
例えば、映像固有のリズムを音楽によりサポートするなど。
他方、氏は音楽自身が主役となって画面やドラマに踏み込み、中心的役割を演じることには、常に強い抵抗感を示しておられた。少なくとも、こうした基本的考え方は、氏の50年に及ぶ映画音楽の根底に揺ぎなく存在していたことは確かであろう。さて、これらの伊福部作品のうち映画音楽としてLPもしくはCDで取り上げられた主なシリーズでは、70年代終りの、東宝レコード「日本の映画音楽」シリーズの第4集「伊福部昭の世界」あたりが古く、続いて80年代初めにキングから発売された「伊福部昭 映画音楽全集」全10巻(K22G-7043-52)が、質量ともに最も充実した内容を持つ。このシリーズは、その後、SLCからCD全10巻で復刻された(現在は廃盤中)。更に、第1作「銀嶺の果て」(1947)以来、50周年を記念して1997年にバップ・レコードから「伊福部昭 未発表映画音楽全集」全6巻がCDでリリース。選曲も先の全集とは重複しないように配慮され、大映、松竹、東映など映画会社毎にまとめられている。その外では、ゴジラものだけをまとめたフューチャーランドからの「ゴジラ大全集」CD全20巻や同じくフューチャーランド「東宝怪獣映画選集」CD全11巻など枚挙に暇がない。
その中で、今回はキングの「伊福部昭 映画音楽全集」から第3巻を取り上げてみた。全集と銘打ってはいるが、全ての作品が網羅されているわけではない。それでも第1巻から、ほぼ年代順に、1947年「銀嶺の果て」以降、1978年「お吟さま」までの70余本が収録されているので、1980年ごろまでの全作品の3分1ほどにはなろうか。
とくに第3巻を取り上げたのは、これらの収録映画が封切られた1957〜60年ごろ、筆者は偶々大学の映画部に籍を置いていて、ほとんどの作品をリアル・タイムに観ていることによる。ゴジラ路線上の怪獣スペクタクル「大怪獣バラン」やSFスペクタクル「宇宙大戦争」は、何れも本多猪四郎監督、円谷英二特技監督のコンビによる特撮ものだが、全身躍動するようなマーチの連続で、まさに氏の面目躍如、また日本神話に材をとった「日本誕生」も、ヤマタノオロチ退治やヤマト軍の進軍の場面などは怪獣映画そのままで、怪獣・特撮グループに属するものであろう。宗教作品「親鸞」では、深い魂の祈りの音楽が素晴しい。東北の片田舎で起った殺人事件を描く石坂文学の映画化「憎いもの」は、事件の不条理を一層やりきれないものにするし、エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」の時代劇化、三船敏郎演じる「或る剣豪」の音楽による人間賛歌、そして奇才岡本喜八監督の冴えるアクションもの「暗黒街の顔役」に付した重厚な音楽はドラマにどっしりとした重量感を与えた。
氏の音楽の特徴は、リズムの強調と徹底したオスティナートの重視、しかも重厚かつ土俗的エネルギーの発散する堂々たる正攻法で、決して手練手管を弄さない。そのインパクトがあまりに強烈なので、特定の映画の画面と結びついて後々まで深く心に刻み込まれるのである。
いろいろな機会に過去の日本映画を鑑賞される際には、音楽に注目してみるのも一興であるが、これから先、新しく生まれる伊福部芸術に接することが出来ないのは、やはり何とも淋しい限りだ。
思えば、同じ1914生まれの親友で、相携えて日本の純音楽と共に映画音楽の発展に尽くされた故早坂文雄氏が、わずか41歳の若さで1955年に他界されて以来、半世紀以上にわたって、独り映画音楽界をリードして来られたのである。
氏の長年の計り知れないご苦労と業績に対し心より哀悼の意を表したい。
尚、ジャケットは、開田裕治によるイラストで、上半分は「宇宙大戦争」から 下半分は「日本誕生」からのショットを合成したものである。 |