White
White CEC LOGO HOME 製品 テクノロジー サービス 会社概要 コラム メール English White
White


第018回 2006/05/11
バリ島のガムラン音楽と小泉文夫

DISC18

(日)キング GT-5001
民族音楽シリーズ『バリ島のガムラン音楽』

A面:チョクロ・ブオノ/ゴンバン・スリン/パルノンキア(ブサキ村のガムラン・ゴングの演奏)
B面:アンクルン/バリス/スガリノ/バロン・ダンス/タブ・ガリ (ブリアタン村のガムラン・スマル・プグリガンの演奏)

(発売:1973年)


 今では老若男女を問わず、海外旅行が大変なブームになっていて、まるで隣町にでも行くように、ごく気楽に海外へ出掛ける人たちが多くなったが、我々の若かった1960年代初めごろと比べると全く隔世の感がある。ただ折角、海外に出掛けるのだったら、出来るだけ多く現地の人たちと接触する機会を得て、是非ともその生活や文化の一端を実際に目の当たりにしてみたいものである。そうした楽しみ方の1つが、訪問する地域の伝統芸能や音楽に直に接することではなかろうか。とくに東南アジア、中東や東欧、中南米などは、こうした芸能や音楽の宝庫でもあるのだから。
 筆者の場合、もう30年近く前になろうか、偶々訪れたインドネシアで、実際に見聞きする機会のあったガムラン音楽にいたく感銘し、以来この種の音楽に興味をもつようになったが、今回は、このガムラン音楽を中心に最近は“ワールド・ミュージック”とも呼ばれる民族音楽について考えてみたい。

 ガムラン音楽のガムランとは、もともと「ガムル」=「叩く」からきた言葉で、打楽器中心の多人数による合奏音楽の意味らしい。バリ島では、80種もの楽器を使う大掛かりなものから、数種類による小規模な編成のものまであるようだ。
現在ではインドネシアやマレーシアになっているジャワ島やスマトラ島などの島々、あるいはマレー半島には、紀元前1世紀ごろからインド文化の影響の下で、ヒンドゥー教徒の国がいくつも生まれたが、これらの地域で広く行われていたのが、古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」や「ラーマーナヤ」を演じる芸能やガムラン音楽だった。13世紀以降、この地にイスラム教が伝わり、ヒンドゥー教徒の国々を次々に滅ぼして、イスラム化していったが、ガムラン音楽は温存されてイスラム王国の宮廷音楽として発展していく。他方、あくまでヒンドゥー教を信ずる人々はバリ島へと逃れ、ここでもバリ・ヒンドゥー文化と呼ばれるヒンドゥー教と土着信仰が融合した独特の宗教や文化とともにガムラン音楽を発展させた。
 従って、ガムラン音楽は、今でもインドネシアやマレーシアを中心に広く各地で演奏されているが、バリ島とジョグジャカルタなど中部ジャワ島のガムランが特に有名。しかも、この両者は、かなり対照的で、複雑なリズムと精緻な音色で迫力あるバリのガムランに対し、ジャワ宮廷によって育まれたジャワ中部のガムランは、落ち着いたテンポで響きも優雅である。さらに西部ジャワ島スンダ地方では、古来ドゥグンと呼ばれるガムランが伝承されていたが、1980年代以降は、ポップス化した小編成のガムランも大いに盛んのようである。しかし、使用楽器などはそれぞれに共通するものが多い。
 例えば、主要な旋律楽器では、「ガンサ」と呼ばれる木琴のように真鍮片を並べた鍵盤打楽器、これを金槌状のハンマーで叩くのだが、じつに澄んだ美しい響きである。「グンデル」も同様鍵盤打楽器だが、サイズが少し大きく共鳴筒付き。何れも2台1組で使用することが多く、それぞれ音高も微妙にずらして調律されているので、独特の唸りを生じ緻密な音楽が再現される。「ゴング」これはまさにボクシングの試合に使われるドラのような楽器。さらに、「トロンポン」(1人用)とか 「レヨン」(4人用)と呼ばれる楽器は、このゴングを8〜11個、台の上に並べて叩くもので、主に和音奏に使用されるが、少しくもりのある独特の音を響かせる。さらに、「スリン」という竹製の縦笛や、「ルバブ」と呼ばれるアラビアから伝わった弦楽器、「クンダン」と呼ばれる太鼓などが使用される。

 今回ここに取り上げたのは、「バリ島のガムラン音楽」と題するレコードで、小泉文夫・中村とうよう両氏の監修による「民族音楽シリーズ」の1枚。ちなみにこのシリーズは、全27巻から成るもので、ほかには、西アフリカ、南インド、チロル地方、メラネシア、アンデス、東欧のジプシー、日本ではアイヌの音楽が含まれる。このレコードは、フランスのジャーナリスト、ジェラール・シヴェによる現地録音を音源とするが、解説は我が国が誇る民族音楽の権威、小泉文夫が行っている。ここに掲載のジャケットの写真も、同氏の撮影によるもの。この写真、前方にいる10人以上の若い男性奏者たちが演奏している楽器がガンサであり、右奥に吊り下げられた大きなドラ状の楽器がゴングである。
 古来、神々の島と呼ばれたバリ島では、各々村落共同体ごとにヒンドゥー寺院を中心に宗教的儀式・祭礼が行われ、それに付随するものとして影絵や人形劇、舞踊などの芸能やガムラン音楽を維持・発展させてきた。このレコードには、何れもガムラン音楽だが、ブサキ村で採取されたガムラン・ゴングという編成のもの(A面)と、プリアタン村のスマル・プグリガンというガンサ、トロンポン、グンデルを主体とする大規模な編成のもの(B面)が収録されている。とくに、B面最後の「タブ・ガリ」という曲、5分そこそこの伝統曲の1つだが、ゆったりとしたテンポで豊かな余韻があり大変に美しい。トロンポンで始まり、グンデルへと引き継がれるが、ガンサやスリンがこの柔らかなグンデルの響きと絡みながら、最後は賑やかな合奏でフィナーレとなる。

 ここで、このレコードの監修者でもある故小泉文夫について一言述べておきたい。
 民族音楽の普及に計り知れない功績を残し、民族音楽といえばこの人と言われた小泉氏は、1927年、東京生まれ。1965年から始まったNHK-FMの長寿番組「世界の民族音楽」を受持つ傍ら、インドを初め世界各国の民族音楽の採取、録音、保存。また幾多の民族音楽関連のコンサートやレコード企画のプロデュースと共に多数の著書を著わし、民族音楽の普及に心血を注がれたが、1983年惜しくも肝臓ガンで死去。享年56歳だった。
 民族音楽一般に言えることは、流行の激しいポップスなどとは異なり、多くの場合、宗教的行事と結びつき長い間の風雪に耐え、地域の民衆によって育まれ伝承されてきた音楽だけに、当然それなりの優れた特性があるはずだし、それらの特性やパワーは同時に他民族や他地域の人々をも感動させ得るはずである。小泉文夫は、そうした未知の音楽に対して鋭い音楽的鑑識眼と愛情をもって、偏見なしに楽しむことの大事さを身を以て教えてくれた恩人といえるのではあるまいか。
 私ごとになるが、筆者の場合も、日本の伝統音楽を初め、アイヌのユーカリ、琉球音楽、韓国のパンソリ、モンゴルのホーミー、バリのガムラン、インド音楽などに興味をもつようになったのも、またこうした音楽に限らず、どんな種類の音楽にもあまり抵抗なく前向きに入ってゆけるのも、同氏の放送番組や幾多の著書の影響によるところが大きかったように思う。
 尚、同氏の人となりについては、「世界を聴いた男−小泉文夫と民族音楽」(岡田真紀著─平凡社)に詳しいが、最後に、同書に掲載されている東京芸大時代の教え子でもあった音楽家・坂本龍一氏の追悼文をもって本稿を締めくくりたい。

 「小泉文夫は僕の音楽に対する態度に決定的に影響を与えた人です。実は音楽にとどまらず、あらゆる文化・人を公平に見るということを教えてくれた人です。小泉文夫の授業に参加し、個人的にも知り合えたことは僕の人生の誇りであり忘れられない思い出です」
 そして、その後の坂本氏の音楽上の軌跡を辿ってみると、まさに亡き小泉文夫の忠実な継承者の一人であることを認めざるをえない。