第25回 2004/07/01 |
野鳥売買 メジロたちの悲劇 |
書名:野鳥売買 メジロたちの悲劇 著者:遠藤公男 出版社:講談社 出版年月日:2002年11月20日 ISBN:4−06−272163−5 価格:800円(税別) http://prweb.org/press07/00394.htm 読み終わって、なんともふさぎこみたくなるような野鳥に対する実態を告発する新書版です。残念ながら、まだまだ我々日本人の公共性に対するモラルの程度はこれほどのものでしかないのかと嘆かざるを得ないものがあります。文章構成はこうなっています。【 】内は、評者のコメントです。 まず、国内で人工飼育された、若しくは国際的な規制(ワシントン条約等)に該当せず、日本国が適切と認めた国から輸入を許可された、愛玩用の鳥。最も標準的にペットショップで売買される多くの小鳥がこれにあたります。カナリア、紅スズメ、ジュウシマツ、セキセイインコなどです。他方で、原則的に、日本に飛来する、若しくは留鳥、漂鳥として生息する野鳥は、全て捕獲と飼育を許可されていません。しかし例外があります。一世帯につき一羽だけの飼育(法律的には飼養といいますが)を条件に、メジロ及びホオジロが「飼養許可」野鳥です。(この2種類のどちらか一羽のみで両方を飼養することはできないことになっています)一羽しか飼うことが許可されていないメジロが、かくも多くペットショップの店頭に並び、公然と取引されてきたのか、そのカラクリに著者は遠く香港、広州、北京にまで足を運びます。 中国で大量に捕獲されたメジロは、合法的に輸入でき、また「輸入証明書」付で大量に売買することが可能です。その「中国産」メジロの証明書をもって、実は密猟された「日本産」メジロを売買する構造が成立しているからです。(外見上、中国産メジロと日本産メジロの区別はそれほど困難でないにもかかわらずです) 輸入された中国産メジロは、証明書さえ受け取ればもう不要です。「日本産」メジロとは囀りのレベルがはるかに劣るとされ、「ゴミ」と化し、恐らく野に放たれます(その瞬間に種の交雑が始まります)。環境保護の名目で、飼養鳥を制限するわが国の環境担当行政は、中国の環境荒廃には口をつぐむようです。きれいな囀りを我が物にしたいという欲望自体、理解できないものではありません。しかし人による環境破壊の結果として激減の一途をたどる野鳥を捕獲、飼育すればその種は絶滅へ向かうことはあれ、増えることはありません。ましては、国内の野鳥だけでなく、外国の野鳥を大量に犠牲にすることによってしか楽しむことのできない「趣味」は理性で押さえ込むべきだといえます。鳥が好きだと語る資格はありません。 密猟者に対する、愛鳥家の孤独で、厳しい戦い。擬似愛鳥家(その中には、地方公共団の役員までいます)の欺瞞性を暴いてくれます。わが国は、大正7年(1918年)にできた、「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」を、一昨年の平成14年(2002年)になって、82年ぶりに全改正し、「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」を成立させました(施行は平成15年4月)。それまで、漢字、カタカナ表記の旧法律は、部分改定を重ねてきましたが、いかにも見辛く、この問題への政府の関心の低さを端的に表しています。また、国境のない鳥をも対象としながら、輸入鳥獣類の規制に関する不徹底さは、基本的にザル法といわざるを得ません。この法律は下記URL で全文を参照できます。 http://www.env.go.jp/nature/yasei/choju_ho/01.pdf ある特定個人の所有するものを、所有者に無断で自分の所有とすることを盗みといいます。山野に自然に生息する多くの動植物は、特定個人の所有ではなく、公共の共同所有対象ともいえます。その共同に所有するモノへの個々人の関わり方に、社会生活上のモラルが現れてくるものと思えます。密猟が法に触れるから悪、と糾弾する以前に、それに関わる法律の有無に関わらず、共同財産に対する冒涜行為が、密猟であり、その飼養行為だと思えるのです。この著作者の大胆な行動への勇気に拍手を送り、多くの方にここで描かれた実相から目をそむけないことを祈ります。
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