第14回 2003/08/02 |
壬申の乱の謎 |
書名:壬申の乱の謎 著者:関裕二 出版社:PHP文庫 出版年月日:初版2003年6月18日 ISBN:4−569−57971−X 価格:560円 http://www.php.co.jp/bookstore/ 日本の歴史を紐解くとき、何よりも奇妙に思われてならないのが、わずか1,000年程度前の諸事件、諸事実がどうしようもない不確かさの靄に包み込まれていることだ。 他方で、隣国、中国の歴史はどうか。西暦184年に起きた黄巾の乱に始まる、三国鼎立の時代は、少なくともここで描かれる壬申の乱に先立つこと約500年。小説的な粉飾、脚色、過大表現、過小評価がそれぞれに散見されるにせよ、多くの作者の描く「三国志」はその時系列での出来事とそれに係ったおびただしい人々の名前は大筋において、現代の人々に疑義を生じることなく理解されている。それどころか、三国志の時代を更に溯る事700年以上、紀元前551年の生誕が推測される孔子の時代でさえ、彼の業績に政治的、倫理的評価が分かれることがあっても、その足跡は凡その合意を得ることができる。 それに比して、わが日本の歴史上、初めて名前が登場するのがAC3世紀の卑弥呼でしかないというのは、何とも単純な理解を超える事象ではなかろうか。その原因の第1は、日本国の正史とされる、「古事記」そして「日本書紀」が神話の世界に彩られ、その神話的表現に隠された「真実」を、「魏志倭人伝」に有名な中国やその他の朝鮮半島に残された日本との関係を記述した古い資料でしか検証されてこなかったことにある。この『壬申の乱の謎』は、西暦672年に起きた、壬申の乱をテーマに、ある意味では神話の世界に何とか科学という光の照射を与えようとした作品である。 壬申の乱とはいうまでもなく、天智天皇の子、大友皇子が皇位継承権を賭けて、叔父に当たる大海人皇子との骨肉の争いを演じた、古代史に有名な一大戦乱のことである。正統天皇の継承者率いる正規軍が、吉野という都から遠く離れた僻地に逼塞していた地方軍に完膚なきまでに敗れ去る(その後大海人皇子は天武天皇となる)という皮肉な結果をもたらした王位継承戦争、まずその奇跡的と思える勝利の背後に潜む権力構造に目を向ける。 更に、一旦は敗北した天智天皇系が、天武天皇の死後復活を遂げていく筋立てが、「日本書紀」にあっては、中臣鎌足と天智天皇を祭り上げるかのような表現をとって舞台の中心人物に据えられているのはなぜかという、正史そのものの表現形式の矛盾に疑問を投げかける。筆者の論理的な推論の全てが、真実に向けた第1歩であるのかどうか、判断には苦しむが、「正史」の持つ矛盾を権力のあり方として把握しようとする筆者の情熱はひしひしと伝わってくる。 日本古代史の研究家は、まず「正史」である、日本書紀そして古事記を紐解くことを余儀なくされる。とりわけ天皇の現人神性が拒否された第2次世界大戦後の研究者のアプローチは、「正史」に描かれた複雑な神話的表現の中から、まず天皇家の「万世一系」性への疑問の投げかけというハードルを越えること(例えば、水谷千秋著 「謎の大王 継体天皇」文藝春秋)、そして中国大陸、朝鮮半島に残された古資料との突合せ、整合性、非整合性の検証作業、また時として日本国内の地方に残る風土記の数々に作業の矛先を延ばし、何とか論理の一貫性を見出そうと尽力しているようだ。 日本古代史研究上、それを曖昧模糊とした世界に止まらせている第2の問題は、本来日本国として所有している全ての資料がいまだに公開されていないことにあるように思われてならない。天皇家にゆかりのあると思われている古墳のどれだけ多くが発掘され研究の対象として遡上に上っているのか。「宮内庁」の人類文化に対する情報公開への躊躇たるや、まさに前近代的であるとしか思えない。天皇家の「万世1系」性が、多くの資料研究によってさえ拒否されている昨今、そして天皇家が決して単純な血族の連関性にはないことが判明していても、そのことによって現在の天皇家の存在に脅威を与える恐れもない状況下で、日本古代史の研究家は、「宮内庁」の「行政改革」と「情報開示」に声を大にすることなくして前に進むことはできないのではないのだろうか。
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