第69回 2006/07/01 |
一年のちょうど半分が経過しました。今日から2006年も後半となります。沖縄地域ではすでに先月20日に梅雨明けが発表されましたが、九州以北の各地ではまだまだ曇天の続く今日この頃です。皆様いかにお過ごしでしょうか。 CECの国内販売は、2006年前半を 概略いたしますと、皆様方のおかげで前年度対比、約45%アップの販売実績をあげることができました。この間紹介させていただきましたCECのアンプ、CDプレーヤーの新製品と、昨年暮れに紹介いたしましたウィーン・アコーステックの新しいラインアップが、ともに幸いにして皆様方の高い評価をいただいたことによるものです。この場を借りまして、厚く御礼申し上げます。本年度の後半を迎えまして、CECはまだまだ意欲的に、新しい製品を紹介していくつもりですし、ウィーン・アコーステックも、企画を温めていた特別バージョンをまもなく発表できる見込みです。ぜひご期待ください。 さて、この7月1日は、あまり広くは知られていないようですが、「童謡の日」です。日本での童謡の源にもなった、童謡と童話の月刊誌、「赤い鳥」(鈴木三重吉主宰)が創刊されたのが1918年(大正7年)7月1日。この日を因んで、日本童謡協会が、今から22年前の1984年(昭和59年)に「童謡の日」として制定したものです。 鈴木三重吉(1882年、明治15年〜1936年、昭和11年)は、国家(文部省)主導の子供のための歌、唱歌の紋切り型的な「硬さ」に対して、子供の感性に訴えるより自由で、芸術的な表現をもった詩と曲を求め、森鴎外の賛同を得てこの「赤い鳥」を発行します。いわば大正デモクラシーの、象徴的な運動のひとつの旗頭であったわけです。 創刊号には、後世、日本を代表する文学者と呼ばれるようになる、芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声らが賛同の意を表明したといわれています。また、詩人北原白秋と、西条八十には、子供向け芸術音楽、童謡の作詞を依頼するだけでなく、雑誌上で公募する詩の選者として「童謡活動」の一端を担うことをも要請したようです。この雑誌「赤い鳥」は、鈴木三重吉が逝去する1936年まで出版され、有名な「からたちの花」(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)、「かなりや」(西条八十作詞、成田為三作曲)もこの「赤い鳥」に初めて発表されたものです。 世界中に、その地域、地方に伝わる伝統の民謡、フォークソングは存在します。それらは代々受け継がれるものとして親から子供に順次歌い継がれてきました。親が子供に伝えるべき自然発生的な歌曲が、民謡やフォークソングでした。しかし、純粋に子供のために作られ、芸術性を持った、歌詞と歌曲を誇ることのできる「童謡」は、日本が世界に誇ることができる音楽分野である、ともいうことができます。西洋音楽、クラシックの揺籃の地、イタリア、フランス、ドイツにおいても、子供のために作られた芸術性を誇ることのできる音楽分野があるということは聞いたことがありません。 児童虐待の様々な事件、事例が毎日の報道で流され、その件数が増加の一途をたどり、「児童虐待防止対策」が厚生労働省の主要な業務になっている平成の今日、子供のための芸術に大作家、大芸術家がひたむきになっていた大正の時代とは、まさに隔世の感があります。 「童謡の日」の今日、今一度「童謡」を作り出した日本の英知を振り返ってみようではありませんか。 |