第137回 2012/3/7 |
「東日本大震災から1年」 |
2月は20日を過ぎて、関東地方ではわずかに穏やかで温かい数日が続き、春の訪れを期待させる気配でしたが俄かに最終日になって全域大雪となりました。この冬の積雪は、日本海側では例年の倍にも及び、降雪による人家の倒壊、雪おろしの際の事故の多発が報じられております。皆様方お住まいの地域ではいかがでしょうか。雪害に見まわれた地域の皆様には、心からお見舞い申し上げます。 3月に入りますと、どうしても昨年(2011年)3月11日の東日本大震災に思いが及びます。マグニチュード9を計測した大地震は、大津波を惹起し、福島第一原子力発電所の爆発事故を結果しました。先月下旬、米国原子力規制委員会(NRC)の福島原発事故に対する対応の記録が、詳細に渡って公開されたことをNHKが報道しました(これは、ウォール・ストリート・ジャーナルを中心とする報道機関が、情報の公開を請求したものに応えたもの)。そしてこれとは全く別に、国内では、「福島原発事故独立検証委員会」による「報告書」の公開が報道されました。 民間事故調と略称されるこの委員会は、昨年10月に、一般財団法人日本再建イニシアティブによって設立され、政府の事故調査委員会、国会の事故調査委員会とは独立した組織だといわれ、当初構成メンバーから、その性格に懸念を持つ人がいたことも事実です。ともあれその報告では、事故当時の政治家、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、当該政府機関員への聞き取り調査をもとにまとめられたとされています(但し、当の東京電力経営陣は聴取には応じていないと報告されています)。多くの政府関係者の「証言」について、今のところその真偽について何も政府当局と関係者から反論が上がっていないことからしますと、そこに記載されたことは事実であろうと推測されます。 まず気になるのが、米国NRCが、2001年の同時多発テロの教訓から、原子力施設のテロ対策を複数回(テロによって)電源や冷却機能を喪失した場合の対策をガイドラインとして日本の原子力安全・保安院に通告したこと、それがすべて無視されたこと、それを受け入れていれば、原発事故による被害が低減できたことを述べています。「同盟国」であり、その「国内(とりわけ沖縄)駐留軍隊が我が国の国防上必要である」と現政権が認めるアメリカ合衆国の公的な委員会の勧告を無視するのですから、なんとも弱腰だと非難されるわが政権の対米姿勢も実はたいしたものだったのかもしれません。 この民間事故調の第二の指摘は、SPEEDIの情報の無視とその非公開性です。「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」は、当時の日本原子力研究所(現、日本原子力研究開発機構)が開発し、2005年以降は新しい予測計算モデルが導入され、「高速化SPEEDI」にアップグレードされたもので、所轄は文部科学省。昨年4月にこのコラムで指摘しましたように、政府はこのSPEEDIのデーターの公開を徹頭徹尾遅らせてきました。理由のいかんを問わず、これまでの政治姿勢との一貫性が説明できません。米国には早々に情報を供与し、他方でドイツ気象庁はインターネットで放射能汚染予測情報を、日本気象庁からの情報に基づくとして配信していました。 自民党政府から民主党政府への移管にあたって、原子力政策に大きな違いがないことはあきらかです。原子力発電所の輸出事業には、より積極的であるかのようにさえ見えます。その点からしますと、現政府は、原子力発電の開発の歴史を継承しているわけで、その事故に対しても、当事者責任を負わざるを得ません。原子力発電の安全性については、今回の事故以前、何度も安全性の宣伝が繰り返されてきましたが、その際、もし万が一事故があったとしても、安全に住民を避難誘導させることができるとして強調され、高い予算が割り振られたのが、この高速DPEEDIだったのです。2011年3月の大事故当時の閣僚への民間事故調の聞き取り調査で、この安全装置の存在自体を知らなかったと答えた数人がいたことには、実に驚かされました。意図的に隠す以前に、知らなかったといわれれば、これ以上は非難の二の句が継げません。統治能力の欠如という非難のレッテルが、大手メディアによって当時の内閣総理大臣に貼られましたが、どうもそこにとどまらなかったようです。 天変地異による大災害に際して、その当時の為政者の採った政策が、適時即応したものであったと称賛されることはまずありません。どれほど適正なものであったとしても、それと全く同じ災害が過去あったわけではなく、比較できませんし、また失った多くの人命と、灰燼と帰した社会的、個人的財産は、再び元には戻らないからです。大災害に対しては、どのように臨機応変に対応しても非難されることを前提として政治は被災者と被災地域に対応するしかありません。今回は、それに原子力発電所の事故という、決して起こり得ないと被災者に語り続けた人災が加わったのです。その安全弁として確保された情報システムが何ら役にたたなかった、もしくは立てることができなかった、また最悪のシナリオとして、意図的に隠されたとすれば、それをまず厳しく自己断罪することが今後の復興へ向けた政策立案の第一歩だと思えるのです。 間もなく3月11日に近づいてきます。テレビ報道は、連日、まだ大震災と原発事故からの復興が進んでいない東北太平洋沿岸地域の実態を放映しています。なすべき課題が山積していることは誰の目にも明らかです。大震災からの復興庁の設立の遅れを云々する時期は過ぎています。復興庁は設立されました(2月9日、震災後11ヶ月経過)。ここでは、個別の復興事業審査はすべて取りやめ、被災各自治体の裁量を最大限に容認すべきです。復興庁の設立の遅れに端的に表れた、中央政府の事態に対する対応の遅れを取り戻すには、従来型の査定に基づく許認可の伝統を取りやめるしかないと思われるのです。被害総額に応じた、復興予算の配分を決定、実施し、その用途については一任することが肝要だと思われてなりません。 冬の寒さのせいでしょうか。今年の梅の開花は大幅に遅れています。3月に入ってからの気温の上昇から、地域によっては梅の開花が桜と重なることもあるかもしれません。寒い冬が終わり、暖かい春の日差しが来るのも間近ですが、気候の変化は単純には進みません。まさに三寒四温です。異常な円高と大震災による景況感の悪さも、近い将来、景気の循環に転換点が訪れると信じるしかありません。
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