もう10年以上も前になるが、グレゴリオ聖歌が欧米を中心に一大ブレークを巻き起こしたことがあった。このブームは日本にも上陸したが、人はこの現象を“グレゴリオ聖歌の奇蹟”と呼んだものである。
事の発端は、1993年10月22日、スペインのEMIが、その少し前に吸収合併したレコード会社イスパヴォックスの録音による相当量のグレゴリオ聖歌のうち一部をCD2枚組にして発売したことに始まる。この2枚組とは、1973年から82年までの間に、スペイン北部、カスティーリャ地方の小さな町、シロスにあるサント・ドミンゴ修道院の修道士たちにより録音されたグレゴリオ聖歌のさわり集みたいなものだった。スペインEMIにとってこの発売自体、単にカタログを埋める以上の特別な理由もなかったようで、その証拠に極く簡単な解説のみで歌詞対訳すら付かない代物であった。
ところが、このCDセット、発売から僅か数日の間にスペイン国内で1万5千セットが売り切れ、11月末には16万セットが売れた。引続き、凡ゆるジャンルを含むヒット・チャートのトップを走り続け、94年1月末までに、何と25万セットが売れたのである。(以上、同CD日本版の解説より)その後もこのCDの人気は、ベルギー、チリ、ポルトガル、オランダ、スウェーデンへと波及し、驚くことにこれらの国々で何れもヒット・チャートのベスト3以内に入った。
こうして短期間の間に、とくに若者たちの間で連鎖的にブレイクした理由は一体何だったのだろう。月並みな言い方かもしれないが、それまで余り耳慣れなかった器楽伴奏もない男声のみによる単純かつ力強い単旋律音楽(モノフォニー)と出会うことにより、聴き手の中に眠っていた魂の一部が呼び覚まされて、心地よい安らぎとともに、深い感動の波に襲われたということではなかろうか。
西欧音楽のルーツとして、10世紀以上の長きにわたり主にカトリック教会内で歌い継がれたグレゴリオ聖歌は、本質的には祈りの音楽であるが、単なる美しさというよりは神秘性や憧れの気分、荘厳味、さらには繊細さや力強さをも内在した正に魂の音楽であった。造形芸術であれば、さながら中世ヨーロッパの寺院伽藍(がらん)にも喩えられる存在といってよいが、それもゴシック様式ではなくロマネスク様式の伽藍であろう。「ひろい平面の、調和のとれた壁面長方形の輪郭、円いアーチで柔らげられた真直ぐな線は、厳粛で深い宗教感にみちた聖歌がこだまする時、いきいきとした生命によみがえる。グレゴリオ聖歌もロマネスク建築も、決して底の底まで単純なものとはいえないが、非常に単純な澄みきった印象をあたえる。両方とも、偉大で、しかも高度に洗練された構成の技法が、できるかぎり単純な表現に還元されている。しかし、その表現は精神的な内容を適切にあらわすために充分役立っている。後世の複音楽やゴシック建築にみられる複雑さや、自由な幻想や恍惚の感情はほとんど目立たない。」(フーゴー・ライヒテントリット著「音楽の歴史と思想」服部幸三訳/音楽の友社)
今回は、復活祭を前にキリストの受難日である聖金曜日に行われる典礼を中心に、このグレゴリオ聖歌について考えてみたい。
グレゴリオ聖歌とは、教皇グレゴリウス1世(590〜604在位)によって集大成されたと伝えられることから、その名を冠してはいるが、もとよりこの教皇独りによって編纂されたものではない。古くは古代ギリシャやヘレニズムの音楽、ユダヤ教音楽、ビザンツ聖歌やシリア聖歌など東方教会系の音楽を取り入れながら、スペインのモサラベ聖歌、ミラノのアンブロシオ聖歌、フランスのガリア聖歌など西欧各地の聖歌をローマ・カトリック教会が中心となり長い年月をかけて統一・完成したものであり、現在では、8〜9世紀に出来上がったとする説が有力である。
従って、このローマ・カトリック教会における典礼のための単旋律音楽は、本来は「ローマ教会の聖歌」と呼ばれるべきものであろう。
典礼の中心であるミサと聖職者による聖務日課(オフィチウム)のそれぞれの分野で、聖歌は重要な役割をはたしているが、ミサ用には、通常文(オルディナリウム)による聖歌と朗唱および固有文または変化文(プロプリウム)による聖歌と朗唱がある。通常文は、原則として年間通じて同一の文章が使用されるが、固有文は、典礼によって変化し特定の典礼のための固有の文章が使用される。これらの文はラテン語で歌われたり、唱えられるのが一般的だった。毎日行われるミサの式次第は、これら通常聖歌や固有聖歌の間に朗唱や祈祷が加えられ組み合わされて構成されるのである。
またこのグレゴリオ聖歌は、上記の通りそれまでの古い音楽の集大成であるとともに、中世以降、西洋の音楽はこの聖歌をベースとし、ここからポリフォニー音楽を経てルネッサンス音楽、バロック音楽、そして古典派音楽へと発展させてきた。聖歌に使用された記符法が五線譜となり、調性も聖歌の教会旋法と決して無関係ではないし、和声もまた聖歌から発生したオルガヌムという単純な複旋律がバッハなどの対位法を経て、古典派のホモフォニーへと到達したのである。
然しながら、このグレゴリオ聖歌なるもの、中世の(黄金期)に一体どんな音楽として響いていたのか、明確には判らない部分がある。その後の長い年月の間に、多声音楽の影響など幾多の変遷を経たことにより、原聖歌といえるものはほとんど痕跡も残さないほど変貌してしまったからである。19世紀後半になって、ようやくこの(黄金期)への復帰が叫ばれ、原聖歌の再生運動が始められた。その運動の常に中心的立場にあったのが、フランスのソレーム修道院であり、グレゴリオ聖歌に関する限り最も権威ある存在となった。確かにネウマと呼ばれる残存する楽譜で、音程は明確になるのだが、このネウマにはリズムの表示がない。そこでこの音符の長さを巡っていろいろな説があり、現在はその解釈によって大きくソレーム派と計量派に分かれる。ソレーム派が、各ネウマを同じ長さとするのに対し、計量派は、各ネウマが夫々固有の長さをもっていたと主張する。
ちなみに、19世紀末カミーユ・ベレーグという音楽評論家が、このソレーム修道院を訪れ、訪問記を残しているが、彼はそこで歌われている聖歌に非常な感銘を受け、「それが学的であることを証明できないとしても、少くなくとも美をもつことを私は確証する」(野村良雄著「宗教音楽の歩み」音楽の友社より)と述べている。事程左様にソレーム派によるグレゴリオ聖歌は他の流派のものと比べると大変に美しい。
今回は、そのソレーム派による膨大な「グレゴリオ聖歌 集大成」の中から、特に聖金曜日に歌われるグレゴリオ聖歌を聴いてみたい。
聖金曜日は受難日とも言われるが、言うまでもなくイエス・キリストの受難と死を記念する日である。復活祭などともに移動祝日と呼ばれ、年によって移動するが、今年(2007年)は、4月8日の日曜日が復活祭、その2日前、即ち4月6日が聖金曜日と決められる。ただし、これはカトリック、プロテスタントなど西方教会の場合であり、東方教会は別の日程になるようだ。
カトリック教会では聖週間の中でも聖金曜日は最も重要な日とされ、一年で唯一ミサが行われない日でもある。それに代わって、司祭と朗読者、あるいは会衆全員で「ヨハネ福音書」の中の受難部分の朗読以下、取次ぎの祈願、十字架の崇敬、そして聖体拝領という順番で典礼が行われる。
このレコードには、このうち「ヨハネ朗唱」(A面)ならびに「十字架への崇敬」から賛歌(B面)が収録されていて、このレコードを聴いていると、実際に教会内で通常午後3時ごろから始まる典礼に自分も参加しているような気分にさせられる。
最初の「ヨハネ福音書」も朗読というより朗唱といったほうがよく、節をつけて読まれるが、キリスト、ピラト、ペトロ、ユダヤ人、読師などを夫々司祭、助祭、副助祭、聖歌隊員などが担当する。共同祈願と「十字架への崇敬」の交唱などが行われた後、賛歌「真実なる十字架」が歌われる。この賛歌は、各節の前で、「真実なる十字架(Crux fidelis)」の文句が繰り返されるが、グレゴリオ聖歌のあらゆる賛歌のなかでも最も詠嘆的で美しいものといわれる。
プロテスタントの教会でもこの聖金曜日にはバッハのマタイ受難曲が演奏されたりするようだが、ヨーロッパ、中南米、アフリカ諸国の多くでは休日となり、アメリカでも州により休日となるようである。
演唱は、ソレーム派グレゴリオ聖歌の総本山、フランスのソレーム修道院の修道士たちの合唱隊によるもので、指揮はドン・ガジャール師。師は、1885年ソンゼの生まれ。1911年にソレーム修道院の修道士となり、モクロー師のもとで聖歌を研究する。もともと、この修道院での聖歌研究は、1880年に、ポティエ師によって始られたが、1900年にモクロー師が引き継ぎ、1914年、そのモクロー師の後継者となったのが、ガジャール師だった。彼は、聖歌研究とともに修道院の合唱隊の指揮者として本レコードを含む膨大な聖歌の録音を行った。1972年に死去するが、ドン・ジャン・クレール師が後任となった。
ジャケットは、タイポグラフィーというべきか、文字のみによるデザインである。中央左の大きなマークは、ソレーム修道院の日本流に云えば定紋のようなものであろう。尚、この聖歌シリーズ20数枚は、色などを一部変えてはいるが、デザインは全てこのレイアウトで統一されている。
P.S. 1960年代、カトリック教会の近代化を目的に開催された第2バチカン公会議(1962〜1965)までは、ミサや典礼はすべてラテン語で執り行われ、ソレーム派によるグレゴリオ聖歌が公式の典礼音楽とされてきた。しかし公会議以降は夫々の自国語の使用が薦められるなど、ローマの教会など一部を除いて、かなり自由化が進んでいるといわれる。勿論そうした外的状況の変化は、グレゴリオ聖歌自体の価値の問題とは関係のないことであり、これからも間違いなく聖歌そのものの尽きることのない魅力は、宗教音楽の枠を超えて永遠に輝き続けることであろう。
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