本来は、ヨーロッパから中央アジアに生息するハクチョウ。日本各地の都市公園の沼や池、または湖沼で普通に観察できるのは、おそらく以前にヨーロッパから移入されたものが次第に増加していったと考えられています。日本でハクチョウという場合には、オオハクチョウかコハクチョウを指しますが、ヨーロッパでハクチョウという場合にはこのコブハクチョウを意味します。日本にとどまらず、現在では、アフリカ、オーストラリアからアメリカまで広く全世界にヒトの手で移され生息しているようです。
日本名のいわれは、橙色の嘴基部の上にこぶのように見える黒い露出部があることから。英名Muteとは、無音のことで、このハクチョウがあまり鳴かないことから付けられたといわれています(実際には、結構様々な声を立てますが)。嘴上の突起部(こぶ)を下の写真でご確認ください(茨城県千波湖)。
個体によって、繁殖場所と越冬場所を移動するものと、一年中同じ場所で生息するものとがあります。茨城県の霞ヶ浦に冬やって来る個体は、北海道のウトナイ湖で繁殖しているものとの観察記録もあります。非移動型で、都市型公園に生息する代表的なものは、東京の皇居のお堀や、名古屋城のお堀があります。また、湖沼に生息する例としては、群馬県多々良沼や千葉県手賀沼があり、都市公園や湖沼の個体はそこで繁殖し、冬場も留まっています。ただ留まっている場所では、急速な増加があまり見られないことからすると、若鳥たちは一定の期間を経た後、別の場所を求めて移動しているものと推測されます。
このコブハクチョウは、飛翔可能な鳥類の中では最も重い一種で、平均体重が12Kgといわれていますから、長距離の飛行には適さないようです。コハクチョウが4,000Kmを、それより重いオオハクチョウが3,000Kmを飛んで日本に越冬に来るのですが、コブハクチョウにはとてもそれは不可能でしょう。
デンマークの童話作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの作品「みにくいアヒルの子」は、薄汚れて見えるハクチョウの雛の物語ですが、このモデルはコブハクチョウだと思われます。ただコブハクチョウの雛は全てが灰色という訳ではなく、からだが真白なものと灰色のものの二種類がいます。西部から中部ヨーロッパにかけては、灰色の個体が多く、東ヨーロッパに行くにつれて白色のものが多いといわれています。同時期に生まれた雛で、一番右の個体は白、それに続いている個体は灰色です(群馬県多々良沼)。
これは、伴性遺伝子によるもので(白は、灰色に対して劣性)、鳥の持つ染色体ZとW (ZZはオス、 ZWはメス)のうち、性染色体のZにだけ付随するとされています。Z染色体に乗る体色遺伝子は白が劣性ですので、メスの場合には白が現れる確率は50%、オスの場合には25%となります(1968年、Smith,LT.,and Kupa,J.J.の研究による)。この可能性からすると東ヨーロッパほど白い雛が多いというのは不思議な感じです。ヒトの血液型と同様、理論的な発現可能性と実際とにずれが生じるのは、現実の面白さかもしれません。
ただ、この雛の体色は、成鳥となった場合には全身白となりますので区別はつきませんが、脚の色にこの痕跡が残るのです。灰色の雛は成鳥となっても雛の時と同じ黒い脚をしていますし、白色の雛は成鳥となっても脚の色はピンク味を帯びた肉色なのです。コブハクチョウを良く見ると、黒い脚をした個体とピンク色をした個体とがいます。この脚の色で、雛の時の体色(と遺伝子)が分かるのです。
タイトルと、上左の写真でお分かりのように、コブハクチョウは水面を泳いでいる時、時として双方の翼を持ち上げ、まるで見えない大きな球を持ち運んでいるように丸めます。かのピョートル・チャイコフスキーのバレー曲「白鳥の湖」の舞台を見るとき、このコブハクチョウの仕草が所々にとりいれられているようにも思えるのです。少なくとも、チャイコフスキーがイメージした白鳥は、このコブハクチョウに他ならないことは間違いありません。
重くて遠距離行には適さないとはいえ、コブハクチョウも飛行します。湖沼で休んでいるコブハクチョウを眺める限りでは、あたかも家禽のような感じさえ受けますが、飛行している姿は、オオハクチョウやコハクチョウに負けない迫力を感じますし、世界中にヒトの手によって移されてもそこでしぶとく生き延びている力強さを感じます。
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